第143期 #1
大岩花子(二〇〇一年に溺死。死亡当時九歳)一時、事件性も考慮した警察だったが、近隣証言、現場状況、検視から考え、用水路に誤って落ちたことによる事故死として結論づけられた。
低い植え込みの先には刈り込まれた芝生があり、芝生の中程には岩で組まれた造園の小さな滝があった。岩の割れ目からは人工の水流が一本流れている。芝生を区切る一番奥の植え込みを越えるとアスファルトの舗装路。その先にはグラウンドがあり、ドッジボールをやる低学年の群れが小さく見える。
なるべく悟られない仕草で理科室前の側溝に小便をした君の額にひと滴、雨だと思って少し顔を上げると体育館に繋がる廊下で唐突に女子の笑い声が聞こえた。咄嗟に体を小さくたたむ君の全身の熱気はそれでも外見から十分に判断できた。サッシを触った砂っぽい手を半ズボンで交互に拭うその間、意思とは関係なく、君の放物線は不規則に揺れ続けたままにある。
どうしても学校の便所を使うことができなかった君に質問。
「何故かって? そりゃ、花子さんがいるからだよ」
不思議に思う君。そして、みんなに訴えかける君。
「クラスのみんなは何故、花子さんを気にしてないの?」
そんな小学校も地域学区の統合で、君が大学に入る前にはなくなってしまった。大人と言われる年齢になった君は自宅から二駅離れた場所にアパートを借り、学校を追い出されたわたしは君のアパートへまんまと転がり込んだ。
わたしと便所に二人きりになっても平気でいられるようになったのね。そして、便座に座った君の前に向かい合ってしゃがむわたしの手を求める。
「随分とひたひたすべる君。でも、わたしは玩具じゃないのよ」
乾いた岩肌が少しづつ潤され、やがて内部へ溜めきれなくなった水分が幾筋もの細い糸となって辺りをつたい始め、「バレなきゃいいよ」と言った君の吐息がかかる。
額にかかった滴が雨だったのか、滝の水だったのかの答えを君はまだ見つけてはいないようね。けれど、わたしを突き落としたときの感触は今もその手の中にあるでしょ?
校舎を分断する程大きくなり勢いを増した滝はわたしの、背中にある君の手の感触をいつしか洗い流してくれるのでしょうか。それとも、呪い殺す方が先なのでしょうか。