第14期 #8

メリーゴーランド

僕はメリーゴーランドというものが好きではなかった。乗ってみたいとも思わなかったし、むしろなるべく近寄りたくなかった。小さい頃はそれでも仕方なく親の希望に応じて色んなメリーゴーランドに乗ったものの、素足が触れる冷たい馬体には鳥肌が立った。僕は馬が嫌いという訳ではない。ただ、メリーゴーランドの馬たちが嫌いだった。流れ続ける終わりのない単調な音楽も、中央の柱の使途不明な鏡も、只管に僕を脅かした。
しかし僕は成長するという武器を持っていたので、多くの子供がそうであるように、何事もなくメリーゴーランドから逃れる事ができた。あんなに馬に乗りたがった友人たちも「かっこ悪いよ。」という理由で離れていった。恐怖は僕の視界の隅に追いやられ、いつしかそれをある物として感じることもなくなった。
そして僕は大人になった。終業の放送が流れる遊園地で、僕は担当していた遊具の点検をいつものように手早く済ました。(本当は規則違反なのだが)タバコに火をつける。夕暮れが全ての遊具を何か意味ある物ののように浮かび上がらせていた。僕はそれらの眩しいプラスチックな光を見ながら煙を吐き出した。「おつかれー!」スタッフの一人がそう声をかけながら横をすり抜けていった。
タバコの火を消そうと灰皿を探す僕の足元に、長い影を落とす遊具が目に入った。逆光のメリーゴーランドが一際眩しくそこにあった。柵に手をかけると、ぎっと軋んだ音を立てる。僕は目を細めながらしばらくその馬たちを眺め、そしていつかの恐怖を思い出していた。この馬たちもまた、触れれば温かいような見事な体つきをしている。強い風をはらんだ鬣といい、駆りだした足の筋肉といい、あごをぐっと引いた顔といい、ただ同じところを緩慢にぐるぐる回るだけにしては、異常なまでに血気盛んな体を夕暮れの光にさらしている。
「ああ」と僕は思った。
言い様のない恐怖が、僕を足元から捕らえた。それがはっきりと囁くのが聞こえたのだ。僕はこの恐怖から逃れられないだろう。今までも、そしてこれからも、と。その時だ。本当にその刹那、何かががらりと変わってしまった。この場に感じることのない多くの生気が僕を包んだ。恐ろしさに身動きする事もできない。見つめる先にメリーゴーランドの鏡。凝視する鏡の向こうは何も変わらないのに、僕の周りだけ瞬時に全てが入れ替わったのだ。まるで素敵な手品のように。


Copyright © 2003 長月夕子 / 編集: 短編