第14期 #31

石臼

 我の家には古い石臼がある。
 十数年前の元旦の餅つきで使って以来、誰にも触れられることなく裏庭に置き去りにされ雨ざらしになっていたために全体が緑色に苔生し、一目見ただけではそこに石臼があるとは気が付かないほどだ。
 石臼にはいつも指先が浸るくらいの水が張ってあって、それ目当てに早朝になると何処からか雀の類が飛んできて、チュンチュンと呑気に水浴びをしている光景を何度か見かけることがあった。
 
 ある日、いつものように私がコタツに下半身を潜り込ませ裏庭から見える景色を見るともなしに見ていると、ふとこの石臼が目に留まった。なぜ今頃になってこの石臼が目に留まったのか最初は分からなかったのだが、しばらく石臼を凝視するうちに、初めに感じた違和感のようなものの正体が分かった。
 わずかにだが、石臼の位置が動いているのだ。
 以前は裏庭の半分腐りかかった垣根にもたれかかるようにして置いてあったものが、そこから離れて、つまりその分だけ縁側に近づいている。初めは誰かが動かしたのだろうと大して気にも懸けなかったのだが、それから数日して見ると、なんとまた近づいている。しかもどうやら毎日少しづつ動いていたようで、もはや縁側から身を乗り出して手を伸ばせば触れられるまでの距離になっていた。
 私もさすがに気味が悪くなって家族の全員に石臼を動かしたかと聞いてまわったが、案の上そんなことをしたという者は一人としていなかった。私がなんの成果もあげられないまま居間に戻ってくると、あろうことか、さっきまで私の座っていたコタツの席に石臼が腰を下ろしているではないか。さすがに私もこれには取り乱して、半ば狂ったようにガラス戸を押し開け石臼を抱えたまま裏庭に出た。石臼を元の場所に戻した後、私はしばらく石臼の様子を観察していたがもう動き出す気配はない。そこで私はようやく一息つき、コタツの上のみかんに手を伸ばそうとしたところで、掌のところどころに付着した緑色の埃のようなものに気がついた。それは石臼を抱えた時に付着した苔だった。私はそれを一つずつ丁寧にティッシュの上に取り除きながら、今度久しぶりに皆で餅つきでもしてみるかなと思った。



Copyright © 2003 赤珠 / 編集: 短編