第14期 #21

仮想の現実

 吉橋は目覚めるとすぐにディスプレイの電源をつけた。赤い月とごつごつとした岩肌が目に飛び込んでくる。慣れ親しんだ剣と魔法の世界である。画面の右端に旧友のステータスを示すアイコンが並んでいるが、オフがオンよりかなり多かった。最近はずっとこんな感じだ、と吉橋は考える。いかにプロゲーマーとして派手な経歴を持っていたところで、それだけで生計を立てられるなんてことは決してないのだ。今日も大方バイトにでも行っているのだろう。
 吉橋は冷蔵庫から牛乳を取り出し紙パックのまま飲み、そしてPCに向かった。ゲームの開発チームからメールが来ていた。またシステムのアップグレードがあるらしい。「御陰様で会員数はうなぎ上りです。顧客満足のために今後ともよろしくお願い致します」のくだりで吉橋は苦笑する。きっとまたミッションが難しくなるのだろう。吉橋のような一匹狼を好むゲーマーは最近全く勝てなくなっている。


 寂れた酒場に少年が来て店主に尋ねる。
「歴戦の勇者がいると聞いてきたのですが」
 店主は無言で店の奥を指差す。時代遅れの防具を装備した男を少年は見る。酒場の唯一の客だった。
「新入りか、どうした」男は問う。
「どうしても倒せない飛竜がいるんです」


 少年と男が会話を続けているウィンドウの横にもう一つ吉橋はウィンドウを立ち上げ、平行して業務報告をフォームに書き始める。


 突然男は剣を抜いた。けばけばしい装飾がまとわりついた剣だ。
「あ、その剣は!」少年は驚く。
「知っているのか。これは先の戦で北の王から賜ったものだ」
 やがて男はかつての冒険の話を始めた。少年は目を輝かせ聞き入った。一時間近く話は続いた。


 これが現実の一時間だったらやってられないな、と吉橋は思う。幸い仮想の世界では時間は速く流れるのだ。男は引き続き自己満足らしきものを書き散らかしている。吉橋はキーボードで適当に相槌を打つ。いくら何でもこいつよりまだましだ、という思いが頭をよぎったが、五十歩百歩であることに気付くと恥ずかしくなってきた。締め切ったカーテンの隙間から光が漏れてきている。食料が切れているから買い物に行かないと、と吉橋は考える。
 「初心者とパーティを組ませるには不適である」と報告をまとめ送信ボタンを押した。「ママが来ちゃった!」と書き込んでもう一つのウィンドウを落とした。好きなことを仕事にするのはなかなか難しい、吉橋はいつものように感じた。


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