第136期 #13

評と自作

山彦に桜の声の加はりぬ 大串章
季語は「桜」。「桜の声」とは現実逃避ではあるまい。「山彦」とうまく呼応して居る。
眼の中にキリン駈けたる花ざかり 岡井省二
季語は「花」。俳句で「花」と言えば桜の事。(古今和歌集でも「花」と言えば桜だが・・万葉集では「花」と言えば「梅」)

此処まで評して私は思い出していた。
O旅前(たびまえ)に濱田省吾を聞いて居る若狭敦賀はどんな地だろうか 自作

じゅぶじゅぶと水に突っ込む春霞 岸田稚魚
季語は「春霞」。「霞」とだけ言えば秋の季語。「春霞」が水の中へ?これも非現実的な感じがしなくもないが、むしろ気体と液体の共演と考えれば興趣も湧こうか。
斧嚙ませたるまま春の樹となりぬ 大石悦子
季語は「春の樹」。どうでもいいが「村上春樹」を想起した。「斧嚙ませたるまま」とは凄い。全然具体的なシチュエーションをイメージできぬまま凄いと思って仕舞った。夏か秋か冬の林業がほのかに想像されるが、例えば枝打ちや、間伐など、何れにしろ、すさまじいまでの作者の感情とマッチングしたのでは詠んだのではないかと思われる。
春逝くやダルマカレイになるもよし 桂信子
季語は「春逝く」。「ダルマカレイ」なんて魚居るの?と思って仕舞った。後で詳しく調べて報告したいと思います。とにかくこの俳句だけに専念すれば、「なるもよし」と言う表現など掟破りの様なすごい表現だと思いました。破天荒な感じがむしろ成功した稀な表現ケースなのではないでしょうか。こう言う試みは真似して頂きたいし私も真似居したいと思う反面、やっぱりちょっと引いちゃう感じが強いよなと言う感じです。

ここまで評して来て、評しながら自作をなしいて行くのは少し困難を感じるのであった。



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