第133期 #15
恋愛は耐える事が肝要だとは、大方外れてはないだろう。
しかし、一生に一人で十分だと心に決めた彼女とも別れてしまった。遠距離恋愛だったため電話やメールではお互い真意が掴めずに、凌(しの)いで続けたやり取りも、とうとう水が溢れる様にして簡単に崩れてしまった。暫く連絡が途絶えた時も、相手を信じて待っていたのだが……。
切り出された別れ話は彼女から。話がまとまりケータイを切った後、どちらの方がよく辛抱していたのだろうかと、取留のない事をぼんやり考えていた。
日も暮れた町の中、一人電車に乗って繁華街を歩いていた。商都へ一人働きに出ている今、彼女の居る地元がここから離れた孤島の様にも思える。どうも酒が飲みたくなって一人飲める処を探した。大通りから入った路地裏でうまくバーが見つかった。
道から一段下がった入口の、ノブを回し扉を押し開いてみると、奥からクラシックギターの演奏が聴こえてきた。扉の向こうの階段を幾つか降りて中に入って見てみれば、小さなステージに黄色のドレスを着た女性が一人、白いライトの柔らかな光の中で踊っていた。ステージの隅にはジャケットを着た男性が一人、ギターを抱えて奏でている。私はカウンター席に腰掛けた。
曲は「ラ・ジョコンダ」の“時の踊り”。幾分落とされたテンポに合わせる彼女の手と指の表現が印象的だった。店を包み込む一本のギターの演奏と、グラスが触れ合う音の中、他の客の会話から、ステージの上で踊る彼女は耳が聞こえないという話を私は耳にした。しかし、男の演奏と彼女の踊りにそんな思いを抱かせる様な隙は幾分もない。その話は本当ですかと、私は前に座っていた初老の男性に訊いてみた。
「男の方が彼女に合わせて弾いているのですよ。彼女の踊りを一つ一つ掬(すく)う様にして演奏している。しかし、彼女の中では、確かに彼の奏でる音が聴こえているらしい」
視線を戻せばそれは跳ねる綿毛の様、何を信じてか彼女は笑みを浮かべて踊っている。演奏が終わると拍手が起きた。ライトの中の彼女は拍手に答えるようにしてお辞儀をし、笑顔で小さく手を振った。
ステージに立っているのは今初めて見た聾唖(ろうあ)の一人の踊り子なのだが、私の脳裏には確かに女性の普遍の像を得ていた。それは男の演奏によって完成させられていて、なぜ私も彼の様に掬えなかったのだろうかと、暫くの間、出されたグラスに口を付ける事もできなかった。