第131期 #6

面汚しの佳人、絹のための強盗

 生まれた理由?
 まあ、そんなことを知りたがる年になったの。


 あの人には、三度あったわ。
 一度目は私が小学校に上がる少し前。
 銭湯の洗い場で、石鹸を無駄遣いしていた小さい私がふっと顔を上げると、そこには息が止まるほど艶やかな黒髪が垂れてた。正しくは、その人が艶やかな黒髪を洗っていたの。白い指先が漆黒の髪を掴んで絞って、墨のように真っ黒な髪から絞られた水滴は、魔法みたいに透明に滴って。
 きれいな人だった。澄んだ硝子細工のような美しい顔、それに絡まる艶かしくねっとりと美しい髪。その組み合わせは強烈だった。

 銭湯からの帰り道、私はお父さんにその人のことを興奮しながら話した。でも、「まともな人間じゃない」って冷たくて。
 今にして思えば当たり前かもしれないけど。

 二度目にその人に会ったとき、私は高校生だった。あの衝撃は、どう表せば良いか――髪は無惨に刈り込まれて、隣の女性に腕を組まれて歩いていた。
 顔立ちはやはり美しかったように思うけど、まるで殉教者のような表情だった。
 そのときその人が男だって気がついたの。そうよね。でなければ父と一緒に入った銭湯で、あの人を見るはずがないもの。そんな当たり前のことを私は10年たっても気づかなかったの。あの髪が美しすぎて、他はどうでもよすぎて。
 私が衝撃を受けている間に、その人は雑踏の中に消えかけてた。後ろ姿はありきたりな刈り上げの男。

 耐えられなかった。説明は、つかないけれど。
 私はその人に駆け寄り、女と反対の手首を握った。はっと振り向いたその人に、こう言葉を投げつけたの。

「私があなたの髪を生みなおします。二度と余計な真似などさせません」

 笑うでしょ? でもね、そのとき確かに握った手首を介して、あの髪と私の間に刹那の電流が走ったの。

 三度目は、あなたを生むため。夜の街に隠れて逢った。その後のあの人のことは知らない。死んだんじゃなければ生きてるでしょう。

 その後は色々なことがあって、色んな争いや哀しいことがあって、でもあなたがこうしてここにいることが答え。あなたは望まれて生まれてきたの。

 ね。

 あなたは生まれるべくして生まれた、狂おしいほどに望んだ、大事な大事な子なのよ。

 ね。

 分かるでしょ?

 あなたがこんな風に暮らしている理由も、生まれてから一度も髪を切ったことがない理由も。
 あなたが生まれてきた理由も。

 愛してるわ。ずっと愛してる。



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