第131期 #14

知らぬが仏

ずいぶんと長い間、そのことわざを「骨折り象のくたびれ儲け」だとばかり思っていた。ずっとずっと長い間、そう信じて疑わなかった。

「骨折り象のくたびれ儲け」

いったいいつどこで、誰からそのことわざを聞いたのかは、思い出せない。ただ、最初にそう聞き間違ってしまった時に、すぐにサーカス小屋の片隅で、玉乗りの練習に励んでいる子象の姿が浮かんできた。そのことだけは、今でも鮮明すぎるほど覚えている。

子象は、玉乗りが苦手で、うまく玉に乗ることができない。しかし、ものすごく負けず嫌いで頑張り屋だったので、けして、あきらめない。
「練習すればいつか絶対に玉に乗れる。」そう信じて毎日毎日練習に励むのだ。
それは、仲間達が心配になるほどの、打ち込みよう。
「子象ちゃん、あまり無理すると身体に毒だよ」
「子象ちゃん、少し休んで、一緒におやつを食べようよ」
子象は、聞く耳持たずで、玉乗りの練習を続ける。
「玉に乗れなくちゃ、自分は、ここにいる意味がないんだ。おやつも食べる資格なんてない。」
子象は、かなり思い詰めていた。
ある日。練習の甲斐あって、ついに子象は、玉に乗ることができる。ただ、それはほんの一瞬で、すぐにバランスを崩し、ああっというまに地面に叩きつけられ、左足を骨折してしまう。

「骨折り象のくたびれ儲け」

ああ、なんという悲哀に満ちたことわざ!
一目惚れのように、このことわざが気に入ってしまったのだった。

以来、私にとって、「骨折り象のくたびれ儲け」と「サーカス小屋の子象」はセットになった。正確には、「松葉杖をついて投げやりな感じのサーカス小屋の子象」だ。

「今日は、ほんまに『「骨折り象のくたびれ儲け』やったわ」

そんなふうに、ことわざが使えそうな時は、必ずといっていいいほど、口にした。なのに、なのに、これまでに一度も、誰にもつっこまれなかった。ただの一度も。

「それを言うなら『骨折り損のくたびれ儲け』や、『象』とちごて『損』やで」

ひとりぐらい、そうつっこんでくれた人がいてもいいはずなのに。

よく聞き取ってもらえなかったのか?たまたま聞いた相手が、ことわざを知らなかっただけなのか?互いの微妙な距離感が邪魔をして、つっこみたくてもつっこめなかったのか?

今となっては、確かめようがない。

子象は、もう永遠に玉には乗れない。乗りたくても乗れない。骨折のせいで片方の足が使いものにならなくなったから。というわけでは、もちろん、ない。



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