第13期 #1

あの日

空を見ると何かがきらりと光った。と思うと電車は急ブレーキをかけた。立っていた彼女は体を吹っ飛ばされそうになった。
「降りろー!降りろー!」
兵隊が怒鳴り声を上げる。
「これは狙われている!!降りろー!降りろー!」
電車のドアは開かれ、次々に乗客は降りていく。彼女が降りようとした時、ホームのない電車の高さに足がすくんだ。身長は150センチに満たない小柄な彼女は、さらに高所恐怖症であった。躊躇っていると、
「降りろというのが解らんのか!死にたいのか!」
と、兵隊に怒鳴られながら引きずり降ろされた。ほとんど落っことされるように電車から降りた彼女は、降りるときに足をぶつけたらしい。足をつくと痛みが体を駆け巡った。しかし、痛みに気をとられている場合ではない。電車からは逃げ出す人たちが四方八方に走り去っていく。彼女も走り出した。突然目の前に戦闘機が姿をあらわす。彼女の小さな心臓は飛び出しそうになった。その戦闘機の操縦者と、一瞬目があったような気がした。
だだだだだだだだだだだだだだだだ
すさまじい音が激しく彼女の鼓膜を打つ。弾は運良く彼女をよけた。後ろから叫び声がして彼女は走りながら振り向いた。電車の反対側に逃げた人たちが、次々に倒れていく。おぶった赤ん坊ごと殺された親子が目に入った。それはさっきまで彼女の目の前に座っていた親子であった。
思わず目をつむる。つぶった瞬間、勢いあまってすっ転んだ。靴が脱げる。彼女は靴を胸にかき抱いてそれでも走り続ける。走ってるのか転んでるのかわからくなりながらも、まだ逃げる逃げる逃げる。爆音が小さな彼女の体をなぶる。弾は当たらない。遠くに大きな柿木が倒れているのが目に入る。小さな彼女は木の下にもぐりこんだ。両手で耳をふさぐ。ふと気が付くと木がかすかに震えている。木の中を見渡すと男が一人大きな体を小さく抱えて、彼女と同じ木の下にいる。男が震えているのだ。カタカタとみっともないほど歯を鳴らし
「内地は怖い。内地は怖い。戦地にいたほうが良かった。怖い怖い。」
念仏のようにつぶやいていた。

どれほど時間がたったろうか。どれほど逃げつづけたのであろうか。彼女はやっと自分の家にたどり着いた。彼女の家は奇跡的に難を逃れた。
家の中では末の妹が金たらいをかぶってまだ震えていた。彼女は思わず声をたてて笑った。何に対して笑ったのか、彼女にもわからなかった。



Copyright © 2003 長月夕子 / 編集: 短編