第127期 #12

夢の香港

 香港の貧乏アパートは、天井から写真に撮るとシングルベッド二台分の面積しかない。半分は二段ベッド、残りは床とテーブル物置に使われる。フライパンで炒めたスパゲッティは所々焦げていて、香ばしいのか不健全なのか判然としない。
 扉が長辺の側に付いていると、住人は出入りに苦労する。洟垂れの少年はいつもベッド側に身体を逃がすことを忘れ、一気に開けては壁との間に閉じ込められる。彼の兄は苦笑混じりに廊下側から一旦閉める。弟をベッドないし部屋の反対側へ呼ぶ。再び開けて外へ出す。ため息を吐いては貧乏を嘆き、漕げたスパゲッティを食べる。
 高層階の一室を店舗に使う按摩師のベッドはやはり二段で、客を一段目で癒し、自分は二段目で寝る。雰囲気作りのためかベッドは壁から離れた場所に置いてある。おかげで扉は全開できない構造だったが、路線バスを参考に、グライドスライドドアへと改造して事なきを得た。
 貧乏アパートとは言え、香港の建物は例外なく二百階を超える。最上階は大体ヤクザ者が住み着く。ペントハウスの場合もある。屋上にはヘリポートが備えられるが使用頻度は極めて低く、大抵は企業広告で埋め尽くされる。
 中央アジアの集合住宅にヒントを得たのか、アパート同士を簡単な橋で繋いで行き来した者達もいる。警察や敵対組織から逃げおおせるためだという。しかし、隣のアパートに移ったところで飛び立つヘリがないものだから、最後は地上に戻らなければならない。必死の思いでビル間を渡りきった者は捕えられ、バランスを崩した者は悲鳴を上げながらビルの谷間に落ち、ビル風に煽られ、迷惑な死に方をした。
 この一件を皮切りに香港ヤクザの間で流行した拷問がビル渡りである。最初は目隠しで歩かせる、手を縛る、縄一本掴ませバンジージャンプを強要するなど一応の手心が加えられたものの、間もなく、渡らせながら銃弾の的にする死刑へ変わった。
 おかげで、高層アパートの周囲を歩く際は誰もが安全のために屋上を見上げ、血や小便よけに傘を持ち歩く羽目になる。
 住民は文句たらたらだったがヤクザ者に逆らう勇気はない。
 結局、管理当局を経由し、屋上に立ち入れぬよう建物が改造された。建設会社の作業員は高所作業に疲れ果てて次から次へ按摩師を訪れた。
 按摩師がさんざ儲けて高級アパートへ引っ越す頃、洟垂れ少年はこっそり屋上に上がれなくなったと知り、スパゲッティをすする兄の膝で泣いた。



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