第121期 #17
「おはよう」
階段を上る途中、ユウに声をかけられた。あからさまな笑顔で歩み寄ってくる彼女に、僕は挨拶を返せない。
早朝のホームで電車を待つのは、僕とユウとそれから、遠く離れた場所に立つサラリーマン風の男。手の平に残る空気は冷たく乾いている。
電車の到着は遅れていた。点々としている田舎町を眺めていると、沈黙に耐えられない様子で、ユウが「ごめんなさい」と言う。
「あの人は同じ部活の先輩で。少しお話をしただけなの、信じて」
そういうことってあるよね。君がたまたま見ないだけで、僕も同じことをしたかもしれない。けどさ、それでも許せない気持ちってあるじゃないか。
だから僕はひどいことを言ってしまったんだ。
街灯がぽつぽつ見えるだけの暗い道に君を残して帰ってしまった。悪いと思ってる。
「別れるとか、嫌だよ?」
僕が口を開けようとした間際、朝鳥が鳴いて、電車がホームに止まった。新聞を閉じるサラリーマン風が見えて、僕は無言で電車に乗り込んだ。
約二十分で電車は目的の駅に到着した。その間、僕は携帯をいじるばかりでユウは俯いていた。着信履歴の最新にユウの名前はなかった。
駅から学校まではゆるやかな下り坂。途中に寂れた公園がある。半年前、僕はここでユウに告白して、彼女は頬を赤らめた。
遊具も何もないのに、どうしてあり続けるんだろう? 運が良いのかな?
クラスメイトに吉田という孤立した生徒がいる。彼は父親が起こした事故で居場所を完全に失った。机には赤いチョークでたくさんのラクガキがしてある。それは死を予感させるものが多い。誰がそれをしたのか僕は知っている。
「おはよう!」
「ああ、おはよう」
その一人である友人は、朝の挨拶もそこそこに赤いチョークを僕に手渡す。これは、書けという意味だ。躊躇っていると友人は真面目な顔をして言う。
「お前こそ、やってしまいたい気分だろう?」
「でも、こんなことしても」
「じゃあ、お前はすっかり許したのか?」
「……いや」
僕は言われるがまま、吉田の机に死という文字をいくつか書いて自分の席についた。
前の席はユウの席だ。振り返ったユウはいつになく冷たい表情で、「あんなことするなんて最低!」と罵ってきた。
これには流石に腹が立って僕は声をあげた。
「でも、お前を殺したのは吉田の父親じゃないか!」
途端にユウは消えて、席に花瓶だけが残った。