第118期 #18

沼原

 プラスチックの白い、絵の具の筆洗いの容器に筆先を落とす。筆先から落ちた絵の具が、円く紫のクラゲの糸のように水を漂う。混ぜると形を失って攪拌する。

 透き通った水の底の空に浮かぶ、無数の泡が瞬く。水面(みなも)の上に流れ星が薄く二本の線を引く。新しく引かれたその上で、くすんだオレンジ色の二両の電車が汽笛を鳴らす。十字星が信号を模る。遠くの満月が暗い光を伸ばしている。

 車掌のいない車両に、表情の見えない乗客達が動かず腰を下ろしている。子供の影が膝を立てて外を覗いている。時折踏み切りの音が水の中で振動する。電車が音を生んでは消し去ってゆく。

 水平線上にある彼方に燈る黄色い光。浅く顔を出した地面の上に、四棟の四角い家が建っていて、自分達のための光を漏らしている。その光が消えると、一瞬辺りは暗闇へと変わり、そして空と水面は更に青みを増し、色彩をも感じるまでに、家と島と雲の影を浮かび上がらせた。

 知らずに夜も更けていた。彼女だけの美術室の後ろで、耳の垂れた茶毛の子犬が、片付けられず残っていた刷毛で遊んでいる。
 洗われて、置いてあった色を作るステンレスの灰皿に、彼女は鞄からミルクを出して注ぎ、子犬に与えた。彼女はその犬を、一人内緒で飼っていた。



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