第115期 #12
……肌にきのこを植えたの。……心配いらないわ、表面の、老化したとこだけを食べてくれるのよ。食べきったら、ぽろっと取れるの……
「おい」同僚のバンカラ声で、居酒屋に引き戻される。「飲みすぎだ」
「……すまん」
「最近妙に付き合いいいじゃねえか。何かあったか?」
……身体をおおうきのこ。半透明の軸、暗緑色の傘。なめこを思い出させるぬめり。……酒を飲み下す。
「妻の手に、できものがな」
「それで、料理できないのか? カミさんは何食ってんだよ」
「俺が、色々買ってた」グラスを机に叩きつける。「……でも、治ったんだ」
その日ドアを開けると、新聞紙の上で、裸の彼女が身体を曲げ、背中のきのこを取ろうとしていた。
「やだ、帰ってきちゃったの」
彼は動くことができない。記憶の湖から、出会った頃の妻を引きずり出したような感覚にとらわれて。
「ねえ、背中の、取ってくれない」
「……いやだ」
「けち」
彼女は頬をふくらまして立ちあがり、孫の手どこかしら、と棚をあさり始める。目が離せなくなる。不自然なほどの白さから。艶から。……振り返った彼女の唇を食む。離された唇から、唾液が糸を引いておちる。菌糸、と刺激に酔った頭の奥で思う。彼女が首を伸ばす。鋭い痛みを感じる。首筋にやった手に血が付く。彼女は顔をあげてくすくす笑い、彼の胸に顔をうずめる……
「治ったなら、帰ればいいじゃねえか」
「……ない」
「は?」
「帰りたく、ない」
咬まれた首筋がじくじく痛んだ。「きのこ 美容」で調べてみると、顔にきのこを生やした女の絵が出てきた。アジアの何処かで描かれた、古い医学書の図だった。画像の元サイトは削除されていた。……どこで処置を受けたのか覚えていないの。泥酔してて。茶色い棚の並ぶ店だったわ……あはは、もしかしたら夢だったのかもねえ……
「……分かった」同僚が立ち上がる。「次。行くぞ」
ポケットの携帯が震えた。病院からだ。
「シイナさまでしょうか? 」声は震えていた。
「はい」
「奥様が……」
「……エリが、何か」
「……身体中から……その……皮膚の下から……きのこが」
手から携帯が滑り落ち、お冷やのグラスに沈んだ。透明な糸が視野を蝕んでいく。幾重にも重なって白い層となって……揺さぶられて、目覚める。おい、と呼びかける声が遠くから聴こえる。いつのまにか、床に倒れていた。
同僚の首筋が、眼の前に見える。
唇から、粘っこい液体が、糸を引いて落ちた。