第114期 #8
傷は回復しているが、同時に回転している。ぐるぐるぐるぐると回転しながら回復している。回転し、その遠心力で傷を吹き飛ばしているのだ。吹き飛ばされた傷は身体の別の場所にこびりついてしまう。どこだって傷つけられたくないから、逃げ出す。身体中のあらゆる部位が我先にと逃げ出すのだからたまらない。それについていく形で本体も逃げ出さないわけにはいかない。
「ねえ、なにから逃げているの?」必死で逃げているとふいに声をかけられた。
顔を上げると傷だ。あきらかに傷だ。傷は年の頃でいうと17、8の女の子だった。今先ほどまでわたしを追いかけていたはずの傷に声をかけられた。これはいったいどういうことだろうか。わからないことは専門家に聞くに限る。そのための専門家なのだから。専門家はいう。傷は急速に成長します。傷の寿命は短く、せいぜい1日です。人間でいえば80年が1日、だからさっきまで幼い子どもだったのに、10分後には乙女になっているのです。
なるほどそれなら、とわたしは傷とはなしをする。はなしは尽きない。やけに気があう。当然だろう、もともと同じものなのだから、運命によって分裂し、今は別の人生を歩んでいるだけで、出会うことは必然であったのだ。
わたしたちは意気投合し、食事に行くことにする。ダメだよ、いくら意気投合したって、乙女をいきなりホテルに誘うことはしてはいけない。わたしだってそれぐらいは心得ている。まずは食事だ。ガストで軽く食べればいい。もちろん食べ盛りの乙女は遠慮なく食べるがいい。わたしはその食べっぷりを見せてもらうよ。なんせこっちはダンディだ。紳士号も去年取得した。ドリンクバーでコーンスープを酌み終わる頃、乙女は腰の曲がった女性になっている。時の流れは残酷よ。あんなにドキドキしたのに、わたしは乙女、いや老婆に幻滅し、1万円札を置いてガストを出る。
外に冬が降りている。冬はわたしを非難する。あんたひどい男だ、なにが紳士号だ、ちゃんちゃらおかしいね、あの娘、泣いてたぜ、知ってるんだ、自分が老いてしまったということをだれよりも理解しているんだ。それでもあんたを信じたんだ。あんたそれを無視して、店を出た。その絶望感がわかるか。冬はわたしのコートをびゅうびゅうと吹き殴る。
わたしは自分の過ちに気づき、慌ててガストの店内に戻った。先ほど傷が座っていた場所にはなにもなく、ただ弱々しいキノコが一本生えていました。