第111期 #15
永い旅が、今、終わるのだ。
ぱんぱんに膨れ蜂蜜色の光沢を見せる満月の光が、雄大な砂の海の波間をマーブル状に照らす。ひっそりとした夜。一艘の白亜の客船が無音の中、地平線を目指して進んでいる。砂をかき分けて、目的地もなくただ泳いでいる。絢爛豪華な照明がデッキに灯り、マストの上では万国旗が靡いている。その足元で形を失った紳士淑女の祝杯が上がる。
「目指せ、新世界へ」
そう彼方を指差すのは、かつて一国の主として、人種の壁を打破り、先進国に変革をもたらした男。
「我らが果敢なる旅路は今宵ようやく終着点へと辿り着きますぞ」
そう語るのはかつて世界を一周し、地理のすべてを網羅する地図を作り上げた男。
「長かった。この幾千の時よ」
胸に手を当てるのは、平和をスローガンに世界を束ねる同盟機構を築いた男。
「さよなら、母なる星の、故郷の、すべての家族たち……」
拝礼のポーズをするのは、飢餓や病気の子どもたちを救うことに命を捧げた女。
空気の詰まったボトルを開け、誰とも構わずグラスに注ぐ。注がれた者は一心にそれを飲み干し、悦びに酩酊する。チューニングが終わった弦楽団(オーケストゥラ)が演奏を始める。デッキ上の円舞曲(ワルツ)。ドレスを振り、回る淑女。それをエスコートする紳士。
彼らを乗せた客船の舳先が示すその先に、小高い砂丘が立ちはだかっている。その向こうにそれは広がっていた。世界を包む青闇はそこで途切れ、燃える様な紅蓮の空とのグラデーションが始まる。南はすでに夜明けだ。砂丘を越えれば煉獄の燈火。旧時代の終焉と新時代の幕開け。紳士淑女の歓声が上がる。グラスをかち鳴らすリズム。スタンディング・オベーション。円舞曲に重なるは高貴な海賊たちの唄。
客船は砂丘を越える。時の重みが染み込んだ、黒と銀の砂を掻き分け、地平を超えていく。
金に映える月の砂漠を背に丘の頂に乗り上げた客船は、火星の風の如き、灼熱の波動を浴びた。眼前には紅蓮の砂漠。オアシスのない旧時代と変わらぬ風景。だが一つ、そこを新時代と呼べる所以は、地平線から覗く今にも爆発しそうなほど膨張した太陽の大きな顔と、プロミネンスの陰に見える屑と化した水星と金星の名残、星の兄弟。そして今、この星も漸く眠りに着くのだ。墓標さえ残っていない、砂の墓場を成したまま。
文明は消え、生命は消え、海は砂地と化し、幻影だけが踊るばかりのこの星の、末期の夜に、乾杯。