第11期 #8
大家のおばちゃんが突然、窓を開けて入ってきたから、僕は驚いた。
「ちょっと、最近、夜うるさいわよ」
「すいません」
うんざりした。それでもここで「うっせえ」などと言ったら、部屋を追い出されてしまうだろう。
「すいません」
唇を噛みながら、もう一度謝った。
「よしよし」
おばちゃんは僕の頭を撫でて、「あら、いいシャツ着てるじゃないの? それおばちゃんに頂戴」と言った。
「え?」
かなり混乱した。それでも、嫌だと言えなかった。一つの家に住むのにも世の中の圧力があるのだ、と考えた。朝の光が部屋の中に差し込んでいた。
「いいですよ」僕は着ているシャツを脱いだ。
「ところでさ、最近さ」
おばちゃんが呟きはじめたとき、嫌な予感がした。朝の光は一本の柱のように部屋の中を照らした。部屋の塵がはっきりみえた。おばちゃんはにやり、と笑っていた。
「ちょ、ちょっとまってください」僕は言った。これ以上、おばちゃんのペースにさせてはいけない。
「ぷっちんプリン食べますか?」僕は冷蔵庫の中に入っている賞味期限が一ヶ月たったプリンをおばちゃんに勧めた。これで、お腹を壊してくれればいい。
「ぷっちんプリン? そんなのいらん。それよりさ、最近、夜うるさいんじゃないの?」
僕の我慢は限界にきていた。この人はどうしてこんなにしつこいんだろう? 僕は思わず、言ってしまった。
「あの、プライバシーのことなので」
「プライバシーなんかやめて フライバシーはどうかしら?」
「フライバシー?」僕の頭ではどう考えてもわからなかった。
「そう。フライバシー。全部、油で揚げちゃうの。たとえばね、この部屋の壁を油であげちゃうの」
おばちゃんはそういうと、スカートのポケットから小さなビンを取り出して、部屋の壁にぶつけた。ビンは大きな音をたてて割れた。中にはガソリンが入っていた。臭いでわかった。
「なにするんですか?」
僕は我慢ができなくて、おばちゃんにとびかかった。おばちゃんはタックルをするりとかわした。そして、ライターをとりだし、火をつけた。
部屋が燃えた。おばちゃんは、「どう? これでプライバシーもフライバシーになるわね。おほほほ」と笑った。
僕は逃げ出さなければいけないと思った。だが、僕はあくまでもプライバシーを守りたかった。どんなにきつくても、僕の空間を守りたかった。夜、うるさくしたかった。
やがて、体に火が燃え移った。