第109期 #7

Good-bye, Daddy

「棺の中に、正彦の絵を入れてくれ。」
親父の遺した遺言書の中に、そう書かれてあったと、母ちゃんから聞いた時、俺は、何て言うか、ひどく奇妙な感じがした。

「遺言書」と言っても、弁護士が代理で預かって、ダイヤル式の金庫にしまっておくような、大そうな物ではなく、新聞の折り込みのチラシの裏に、ボールペンで走り書きしただけの、一見したら夕飯の買い物のリストと間違われてしまいそうな、そんな物だった。
チラシの裏面は、ツルツルと滑って、ボールペンでは字が書きづらかったのか、「棺」という字がどうしても正彦には「根」という字に見えた。

親父。あんた、俺の絵なんて見たこともなかったろう? 売れっ子の画家ならまだしも、ろくな仕事にも就かずに、細々と描いてきた俺の絵を、あんたには見せたこともない筈だ。それなのに、何でだ? いきなり死んでおいて、絵も一緒に燃やせとは、どういう了見だ?

「父さんはね、あんたには才能があるって、ずっと言い続けてたんだよ。」
「そんなこと言ったって、親父は俺の絵なんて、見たこともなかっただろ?」
「見なくても分かるって、自分の息子の描くものが、見なくても見えるって、そう言ってたわ。」

何だそりゃ? おい、親父。何でもお見通しだったって訳かい? 所詮自分の息子は、自分を越えない「範囲」の中で生きてる。そう思ってたって訳かい?

あんたはいつもそうだった。したり顔で、俺が何をやらかしても決して叱らなかった。そういうのが、俺は本当に嫌だったんだよ。だから俺は逃げたんだ。あんたから逃げた。残念なのは、あんたが死ね間際に、枕元でそのことを言えなかったことさ。「あんたが嫌いだった」ってね。

「正彦、ほら、これ父さんの引き出しから出てきたのよ。」

母ちゃんが一枚のファイルケースを差し出した。そこには、俺が小学校の時に授業で描いた、一枚の絵が挟んであった。絵の中には、森の中を進む、一艘の船が描かれている。裏面には「想像で描きました」と走り書きがしてある。よく見ると、その走り書きの横に、違う字で何か書かれている。

「感性よ、永遠に。」

親父の字だ。遺言書と同じ、ミミズが並んでるような汚い字。畜生。何だよ…。
ポタポタと落ちた涙が、絵の上に落ちて、描かれた船に海を与えた。

火葬場の煙突からもくもくと出る、黒い煙を、俺は少し離れた場所から眺めている。親父は、俺の描いた、森を走る船に乗って、三途の川を渡れるかな。



Copyright © 2011 青井鳥人(あおい とりひと) / 編集: 短編