第107期 #21
原発さえなければ、と老いた酪農家夫婦は吐き捨てながら、糸が切れたように肩を落とすと夏草の繁る地面に頭をうずめそのまま動かなくなってしまいました。
「大丈夫ですか」と私は言って取材のマイクを夫婦に向けたのですが、牛舎の牛はモーと鳴いているばかりだし、ときおり小高い山から鳥の鳴き声が聞こえてくるのでした。
「事故を起こした電力会社に対して何か言いたいことはありますか? もしもし? いま国に要求したいことは? もしもし?」
私は仕方なく、ぴくりとも動かなくなった酪農家夫婦を敷地の奥にある母屋まで運んでいきました。次の取材地までは結構距離があるし、車へ乗り込んだ私は逃げるようにその場を後にしました。
のどかな田舎道。赤いトラクターが時間を忘れたようにゆっくりと緑の田園の中を動いていました。私は途中で、大袈裟な防護マスクを装着した白装束の集団を通り過ぎたのですが、半キロほど車を走らせたあとやはり気になって車をそのままバックさせました。
「あのすみません。取材してもよろしいでしょうか?」
「取材はちょっとね……。あたしたちは米国政府から派遣された調査団なの。それ以上のことは話せないわ」
「では伺いますが、いまだに多くの人が生活しているこの地域の放射能汚染について、専門家の立場から意見を」
ふいに車のボンネットの上に蛙が飛び乗ってきました。
「まずは専門家の言うことを、疑うことから始めるべきね。蛙さん」
私は次の取材地に向かって車を飛ばしました。都市へ近づくにつれ、私は気分が悪くなってきました。夏バテのせいかもしれませんが、取材を申し込んでいた少年野球チームと合流したときはもう息が絶え絶えで、チームの監督は顔が真っ青だと言って私を気遣ってくれました。子供たちは炎天下のグラウンドで大きな声を出しながら守備練習をしていました。
「さっそく、野球チームの放射線対策について伺いたいのですが」
「それよりあなた、少し横になったほうが」
私は我慢しきれなくなってグラウンドの隅で嘔吐しました。すると突然低いエンジン音が聞こえてきて、岩のような装甲車がグラウンドに侵入してきました。車のハッチが開くと白い防護服を着た連中がぞろぞろと這い出てきたのですが、よく見ると彼らの手にはバットやグローブが握られていました。
「いったい何が始まるのですか?」
子供たちは黄色いユニフォームを着て整列していました。
「交流試合です」