第106期 #21

『頭蓋蟹の恐怖』

 同級生のみつこが死んだ明くる晩のことである。
「ねェねェ聞いた。みつこ、頭蓋蟹に頭食われてしもうたんやって」
 通夜に出席した女子を始発として、そんな噂が僕らの周囲に流れ出した。よく塀のおもてを小さなやもりの類がへばりついて駆け抜けるのを見るけれど、噂はそれ以上に足早で、塾のある森角の駅から発つ電車の中で、隣町の中学生がくだんの話しを囁きあっていたりする。
 普段だったら西日の差す路地も、今日ばかりはとうに陽の落ちた暗闇で、通る人影さえ疎らだ。ここいらの平屋は使われなくなって久しく通りに面した硝子窓は灯る気配さえない。いつかの夜に通った際は塀に指の腹をつけ、行き場のない怖さを紛らわしたりもしたけれど、運悪く一休みしていたやもりの足に触れ、感触に肝を冷やして以来、塀を気にしながら歩く癖がついてしまった。
 みつことは塾が一緒で一度唇を交わした間だけれど、友だち以上の悲しみは起きなかった。あの時もこの夜道、おまけに雨上がりで湿っていたから、彼女もまた何かを紛らわしたかったに違いない。
「松くんは、蟹の夢、見ィひん? うち、時々見る」
 繋いだ方とは逆の手でうなじを掻きながら、みつこはそんな話をしてみせた。相談事にしては軽い口調だったから気にしなかったけれど、彼女が顔を近づけてきたときに異変を悟るべきだった。頭部をなくした彼女は、この先の十字路で寝そべっていた。
 警察の黄色いテープが貼られている。その足許になにやら群れてごわごわと蠢くものがある。あれが噂に聞く頭蓋蟹。盛り上がった甲羅の部分は髑髏のそれらしく、生まれたては僅かな皮膚と髪の毛を持つものもいるようだ。もしや頭蓋蟹なんてものははじめから存在しているものではなくて、人間の首が変じたものではないかと僕は思う。みつこの首は蟹に食べられたわけでなく、あの群衆のなかのひとつに変じてしまった……とすると。
 怖気が走りうなじが痒かった。ぽりぽり掻きながら黄色いテープを避けて歩き、指の腹はやもりのいる塀のおもてでなく、みつこに一度きり触れた唇に添える。
 ―――蟹の夢、見ィひん?
 昨夜見た蟹の夢は、みつこを思って見たものではないのかもしれない。
 みんな頭蓋蟹に食べられただなんて突飛な想像を湧かすばかりで、それが元は人間だったなんて思いもしない。路上に屯する頭蓋蟹の談笑を聞きながら、思いたくないんだなあと分かった気になると、夜は益々深くなる。



Copyright © 2011 吉川楡井 / 編集: 短編