第106期 #15

思い出がいっぱい

 レバーカツだとか、パイン抜き酢豚だとか、まながつおの照り焼きだとか、手作り弁当を昼休みの営業所で食べていた先輩が急に立ち食いそばでいか天ぷらそばとか五目かき揚げそばを食うようになった。同棲は一カ月しか続かなかったのだった。
 がらんとした白っぽい部屋、窓から日が差しこんできていた。先輩の引越を手伝っていたのだった。キッチンの片隅に電子炊飯器。
「高かったやつですか」
「ああ」
 先輩は彼女にねだられて多機能炊飯器を買ったそうなのだった。開けた。空だった。なるほど以前は愛が炊かれていたのだ。あいにく今は内釜の黒いそこが見える。ふた閉める。開ける。ふたの間接には軽妙な感触があって、開閉操作だけで気持が良くなるのだ。その度に内釜には先輩の女の生首が見えたり、現金が見えたり、身ごもったかもしれない胎児が見えたような気がした。二三歳の水商売の女と付き合って逃げられた三三歳の男の背中を眺めていると血統のわるい想像をしたくなるのだった。

 うまくいかなきゃいいのにと思いながら先輩の女に声をかけたらうまく寝てしまったのだった。お別れの原因を作ってしまったのだった。
「いひひ」
 と彼女は垂れ目で無邪気に笑っていた。

 先輩、キャバクラに執心しだした時、おちぶれていく時にはおちぶれの毒をふんだんに含んだ自分の面の皮をなめまわしたくなるものだ、その自家中毒でまたさらに状況を悪化させるのだ、と言っていた。
 先輩を裏切るつもりはなかったが、優秀な先輩に嫌がらせをしようとは思っていたのだった。もう戻れないのだと思った。自殺したいなと思った。でもできないんだろうなと思った。どうしようもない。明日何しようか迷う。酒か女か。宗教か。って逃げてるんだと思った。
 こわいのうこわいのう布団にもぐりこんで思うのだった。

「好きって気持は相手を失うとみじめになるのな」
 先輩が言った。
 がらんとした部屋で先輩の後輩の僕ら三人は目配せした。三人で企んで嫌がらせした。
 先輩が喋った。
 こんな沈んだ男が追いすがっても彼女の為にならないなんて分かるんだが、ただその彼女の要求に応えられる人間になったとしてもその自分は今の自分ではなくなるんだから、せめて今の自分の心境を墓石代わりにこうして誰かに話しておくことは邪悪じゃないよな。
 僕ら三人が先輩が女と別れた理由を捏造するために生まれてきた先輩の妄想上の登場人物のように思えてきたのだった。



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