第106期 #1

I Was Young And I Needed The Money!

「朝ちゃん、何で時報機技師になったの」
「音と機械が好きだから」
 素っ気なく答える朝子の前髪はカチューシャで整えられ、あらわになった額に汗や油が無軌道な模様を描く。
「ゆかりも働け。台車の調整」
「あい」
 よろよろ起き上がったゆかりの視界を全高五メートル、長径十メートルのホーンスピーカーが占領する。赤銅色の胴体は日射しを阻む代わりに初夏の熱を存分に纏って、さながらサウナストーン。
「ビール温い」
「クーラーボックスに入れておかないから」
 摂氏三十五度の引き込み線は、バラスト石や粗末な車庫、有刺鉄線によって国道の賑わいから隔てられている。空は低く、歩道を行く学生はあらゆる物を団扇に変えようと苦心し、時折二人と古いスピーカーを物珍しげに見る。
「移動式時報機だよう」大声を上げ、レンチで車輪をがんがん叩く。立ち止まっていた学生が驚いて逃げ出した。
「可哀想なことするなよ」
 ビールを飲み干し、罪のない笑みを浮かべるゆかり。クーラーボックスの三本目を開けると安堵のため息が漏れる。朝子はスピーカーの正面に上半身を突っ込んだまま細かな作業に集中する。神経質に禁煙パイポを齧る音は、錆びた金属のビブラートにかき消される。
 一日四回、線路から轟くノイズ混じりのサイレンは、太陽、月、汐と共に生活の節目を担っている。
「もっとましな音が出せないもんか」
「都会の方は新型の時報機が入るんだろうけどねー」
「お古だって部品さえあれば」
「エフェクタとか付けられるのかな」
 正確な時刻に人々が飽きたのは母が生まれた頃と、朝子は覚えている。
「どっちを向いても電波時計だったって」
「お婆さんの話? ボク達も学生時代は楽器に囲まれてたじゃん」
「今も部屋はそうさ。まあ、そう、確かに以前とは違う」
「プロ目指してたもんね」
「若かったし、金が欲しかったんだよ」
「スピーカーいじることになるとは思わなかった」
 朝子はホーンの口を思い切り叩いた。
「大して変わらない。いつだってラウドスピーカーと睨めっこしてんだ。バンジー、ア、ゴー、ゴー!」
「ドラムス、朝に生まれた朝子!」
「リードギター、紫と書いてゆかり!」
 汗を閃かせ、二人は出鱈目にスピーカーを殴る。国道から主婦が横目で睨んでいる。
「よし、試験やるぞ」
「あい。スゥウィッチオーン」
 油汚れの目立つ赤ボタンを勢い良く押し込むと、車庫より大きな移動式時報機が震え、ゆっくりノイズを吐き出し始めた。



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