第104期 #1

鼠と猫

「聞いたか? また、狐が盗みに入ったって」研究所内の案内図に目を落としながら言う。
「あぁ、だが、俺に言わせりゃ、あんなのまだまだ、ひよっこだ」同じく、眉間に皺を寄せながら、案内図と格闘する相棒の鼠が言う。
「ひよっこねぇ、それじゃ、俺たちは鶏か?」
「そう、鶏冠の生えた鶏、立派だろ?」
「立派だよ。大の大人が道に迷ってるんだからな」
「うるせぇな、すでに人生の道に迷ってんだよ。だから、こんな格好して、ここにいるんだろうが」
「おぉ、うまいこと言うね」
「ほっとけ!」
 準備を整え始めたのが、約二ヶ月前。研究所から開発データを盗もうと、清掃員に紛れ、侵入したのが、数十分前。そして、道に迷ったと気付いたのが、数分前。
 現在、研究所内の案内図と、目下、格闘中である。
「どうかしましたか?」突然、後から声がした。
 鼠も私も驚いて、声の方へと慌てて振り返る。
 そこには、警備員が立っていた。
 油断していたのか? 警備員の存在にまるで気付かなかった。
「あぁ、ちょうど良かった!」突然、鼠が大声をあげた。胸騒ぎがする。下手なことを喋るなよ、と心の中で祈る。
「いやぁ、実は僕ら、第二実験室に向かっていたところなんですが、こいつが道に迷っちゃいまして」俺が? お前は迷っていないのか。
「出来れば、行き方を教えて頂けませんかね?」
 鼠の言葉に、警備員は意外にも、「第二実験室ですね」と、自ら道案内を申し出てきた。
 背の高い細身の女性警備員だった。肌が白く、眼鼻立ちがはっきりとしている。いわゆる美人だった。
 鼠と私は、彼女の案内で、ようやく目的の実験室の前へと辿り着いた。そして、予め用意しておいた偽造カードで、扉のロックを開錠する。唾を飲む。ドアが横に滑るようにして開いていく。
 一瞬、眼前に広がる光景を理解できなかった。研究員たちが一ヶ所で床に這うようにしている。皆、一様に手と足を縛られ、ガムテープで口を塞がられている。
「どういうことだ?」鼠が言った、と同時に、視界から先程の警備員の姿が消えていた。すぐに、辺りを見回す。が、やはりいない。どこにもいない。
 ふと、名刺のような紙が落ちていることに気が付き、手で拾い上げる。
 あぁ、そういうことか―。
 隣の鼠に、その紙を渡す。一文だけ記されていた。

『御馳走様 狐』

「先を越されたな。とんだひよっこだよ」
「あぁ、だけどよ」鼠が鼻の頭を掻きながら言う。「案外、美人だったよな」



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