第101期 #12

レディ・メイド、あるいはその不正な起源を自ら隠蔽するテクスト/思想

博多の沖は、見渡すかぎり、元から押寄せた船でおほはれた。十何萬といふ大軍である。四國・九州の武士は、博多の濱に集つた。元の兵は、一人も上陸させぬといふ意氣ごみで、濱べに石垣をきづいて守つた。
我が軍は、敵の攻寄せるのを待ちきれず、こつちから押寄せた。敵は、高いやぐらのある大船、こつちは、釣舟のやうな小舟であつた。けれども、我が武士は、船の大小などは、少しも氣にしなかつた。草野次郎の如きは、夜、敵の船に押寄せて、首を二十一取つて、敵の船に火をかけて引上げた。敵は、此の勢に恐れて、鐵のくさりで船をつなぎ合はせた。まるで、大きな島が出來たやうなものである。
河野通有は、たつた小舟二さうで向かつた。敵は、はげしく射立てた。味方は、ばたばたとたふれた。通有も左の肩を射られたが、少しも屈せず、刀をふるつて進んだ。いよいよ敵の船に押寄せたが、高くて、上ることが出來ない。通有は、帆柱をたふして、これをはしごにして、敵の船へをどりこんだ。味方は、後から後からと續いた。さんざんに切りまくつて、其の船の大將を、生けどりにして引上げた。
其の後も、攻寄せる者がたえないので、敵は、一先づ沖の方へ退いたが、又押寄せて來るのは明らかである。實に、我が國にとつては、これまでにない大難であつた。
恐れ多くも、龜山上皇は、御身をもつて國難に代らうと、おいのりになつた。武士といふ武士は必死のかくごで防いだ。百姓も、一生けんめいで、ひやうらうを運んだ。全く、上下の者が心を一にして、國難に當つたのである。此のまごころが、神のおぼしめしにかなつたのであらう、一夜、大風が起つて、海はわき返つた。敵の船は、こつぱみぢんにくだけて、敵兵は、海の底にしづんでしまつた。生きてかへつた者は、數へるほどしかなかつたといふ。



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