第100期 #27

クレーンの夏

 白いブラウスに厚手のセーター、ベロアスカート姿でロッキングチェアに揺られ、窓から染み込む寒さと戯れている。表では昨夜降った雪が道路の石畳や煉瓦屋根に積もり、庇には氷柱が垂れる。ココアに含ませたラムと暖炉の熱気が身に染みる曇天。
 私は夫に話し掛ける。
「一段と寒くなりましたね」
 夫は答える。
「雪は空気を冷やして行くからね」
「でも、もうすぐです」
「うん、もうすぐだ」
 私は広場にそびえ立つクレーンを見上げる。伸び切ったビリジアン色のアームは雪と霜で白く染まり、冬眠をしているようにも見える。
「今年はとうとう百メートルを超えたそうだよ」
「嗚呼、それで見上げているとうなじが痛くなる」
 はは、と笑う夫。
「隣町と競争をしているんだ。去年は一メートルだけ負けたからね」
「計測士の方も大変です」
 そうだね、と夫が頷きかけたところで町役場の鐘が、からんからんと鳴らされた。
「行きましょう」
 言いながら、私はもう膝掛けを畳み、セーターを脱ぎかけている。喉の奥から吐く息が白い湯気と化す。
 広場のクレーンがぐわんと唸り、エンジン音を轟かせる。バスから一気にテノールへ。音程はまるで危険を告げるサイレンの様相。
 クレーンの夏、と人は呼ぶ。月に一度訪れるこの時を。
 アームに吊るされた人工太陽がゆっくりと輝き始め、雲の支配下にある町を照らし出す。その熱でもって冬を遠ざける。
 道路や屋根に積もった雪の層が溶け始める。氷柱は鍾乳石のように水を滴らせ、徐々に形を失って行く。先程までさくさくと、炭をかくような音を立てていた雪は瞬く間に水へと変わり、凹凸のついた石畳のそこかしこにたまる。屋根から冷水と化した雪が滑り落ちて、玄関を開けた人々の髪を濡らす。
「氷柱の落下にご注意を」役場から放送が流れた。
 クレーンの夏、と誰かが言う。空気は一時冬の峻険さを潜め、夏の、貼り付くような暑気となる。ブラウス姿の私は人工太陽に向かって両腕を開く。夫と手を繋いで、小春日和の雀のように。人々は思い思いに夏を楽しむ。若者はこぞって輪舞曲を踊り、次々乾杯の音頭をとる。
 クレーンの夏。
「ねえ、あなた、クレーンは溶けてしまわないのかしら」
「丈夫に作ってあるからね」
 人工太陽は、百メートル余の高さから石造りの町を照らし続け、再び鐘が鳴ると、光を失う。
 夏を堪能した私達は汗をかき、温かさに包まれて家へ戻り、冷えた麦酒を飲んでその名残を楽しんだ。



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