第1期 #9

転送

 トイレのノブに手をかけたときに、内線電話のベルが鳴った。
 たぶん74回目の実験開始の連絡だ。
「今すぐそっちへ行くから……」
 電話はいつものように、返答も待たず途中で切れた。

 チョークが折れる程の勢いで方程式を書き殴り、抜け出して行く学生にさえ気づかぬ熱血講義に感銘を受け、教授に師事することを決めた。
 ぜひ我が社にと、熱心に誘ってくれた先輩院生を振り切り、天才教授と共に研究することを選んだのだ。
 卒業後、初めてこの研究室を訪れた時は、両手を握り「よく決心してくれた。大陸間を三秒で移動できる夢の転送機開発に、ぜひ力を貸してくれ」という言葉には感動してナミダした。しかし、その研究は失敗のオンパレードだった。

 彼は背後で震動する転送カプセルを無視し、出入り口の扉に視線を移した。15秒後には実験に失敗した教授が、第二実験室からハゲ頭を掻きながら現われるはずだ。
「どこを向いておる!」突然の背後からの声に彼は思わず股間を押えた。
 あやうく我慢していた「モノ」を漏らすところだった。
「済みません。てっきり扉から……って、まさか?」
「失礼な奴め、成功だよ。にわかに信じがたいのも頷けるがな。隣の部屋のカプセルで、物体を生成する分子を解析、分解し、こいつで再生した訳だ。FAXと同じ理屈だな。これを応用すると、こんなことも出来る」
 そう言うと設定ボタンをいじりカプセルに飛び込み、そして消えた。
 再び現われた教授は平然としていたが、内心得意満面であることは大きく開いたその鼻の穴が示している。
「教授! 何も変っていませんよ」
 教授はニッと笑い、キャップのひさしに手をかけゆっくりと脱いだ。
「あ、髪の毛が! こいつはハゲにも効くんですか」
「いや、移動可能なだけだ。不要な毛をこの機械が自動的に選択して移動する」
 そういうと教授はアンダーシャツをたくし上げた。
「あ!胸毛が消えてる」
 それを見た彼は素早くキーを叩き、あっという間にカプセルに飛び込み、戻るなり装置の金属部分に顔を映し小躍りした。
「あのカッパのような穴だけの鼻が……オォ、視界に自分の鼻が見えるぞ!」
「ところで君、どこの肉が移動したのかね?」
「教授、それはまた後で、先にオシッコに行ってきます。さっきからガマンしてたんですよ」
 そういうと彼は小走りにトイレに駆け込んだ。
 しばらくして聞こえた彼の叫び声で、教授はどこの肉が移動したのかを理解した。


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