第245期決勝時の「なし」票です(3票)。
『はじめての料理教室』は、小ざっぱりとした清潔な文章で書かれてはいるが、平板で、自他の死について、惜別について、何ら読み手に印象を残さない。かつ構成に難があり、一読して何が書かれているのか分かりにくい。この程度の文章は新聞の投書欄にあふれており、本作は小説未満とするほかない。
『家庭教師とソラと雪』を推すかどうか迷ったが、こじんまりと丁寧にまとまったこの小説に、飽き足りない思いが最後まで残った。小説を書きなれた方だとは思うが、手高眼低とでもいうか、このくらいの力があれば、目指す地点はもっと高くていい。
『降霊夜』は、最初の数パラグラフを読んですぐわかるとおり、原稿用紙20〜30枚の呼吸で書かれていて、この文体を1000字の掌編に収めるのにそもそもの無理がある。死んだ女の部屋に充満する「気配」が書きたいなら、前半部は思い切って苅り込み、その「気配」に肉薄しなければならない。そうでなければ、読者を置き去りにし、誤読も生むだろう。例えば「死体は腐乱臭を放つのではないか」という感想があった。部屋には死体などなく、ただ「気配」だけがあるのだが、必ずしもこの感想を誤読と呼べないのは、そうした読みを排するほど丁寧に書かれていないからだ。鍵を捨てる行為や合鍵の音についても疑義が寄せられたが、いくら書き手に言い分があろうと、そうした疑義を払拭するほど丹念に小説が書かれていないのだから、仕方ない。作者は、1000字には1000字の呼吸があることをまず学びなおさねばなるまい。
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『はじめての料理教室』は、最後まで読めたし、雰囲気も悪くなかったが、分かりにくい部分がいくつかあったので、すんなり読めなかった。
参照用リンク: #date20230305-164212
『除霊夜』は不条理や理屈に合わない人間の行動を描きたかったのかもしれないが、それなら土台となる現実の描写をもっと詰めてほしい。特にラストシーンの「鍵は鈴のように鳴る」が雰囲気優先で情景が見えてこず、しまりのない話に思えてしまった。鍵が鈴のように鳴るには硬いものにぶつかるはずだが、定期入れを出し入れしている間中鍵がずっとポケットに入ったままなら揺れて何かにぶつかることもなさそうだし、ポケットで他の鍵と一緒くたになって音を立てたとしても鈴の音のような音が響くかは疑問。
『家庭教師とソラと雪』は「気持ちばかりが溢れる」「あてもなく歩く」と少女の心理描写が陳腐に書き飛ばされている印象が勿体無い。この作者の人物描写に魅力を感じている一ファンとしては、心中をそのまま書くより行動から心理状態を想起させる書き方の方が向いている作家なのだろうかとも感じた。
『はじめての料理教室』への投稿コメントを見たが、予選での投票が本戦の投票に影響するというのは何かが違うように思えてならない。作品単体で勝負するべき物を「予選ではこっちの方が票数が多かったから本戦ではこっちに投票」がまかり通るのなら予選での投票に余計な計算が生まれないか気になる。
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