第222期予選時の、#5大往生(shichuan)への投票です(5票)。
「不幸の沼地に幸運の飛び石……」で心をつかまれました。
宇宙でひとりきり、最後の人類、というのは、よく語られるエピソードではあるけれども、
ラジオの存在がよかったです。ラジオと孤独との相性はとてもいいですね。
参照用リンク: #date20210331-230900
「人類最後の一人」になってしまうことを通して、生きる意味を考えさせる作品だと思う。
この作品のように、文字通りの「人類最後の一人」になってしまったら、おそらく生きる意味なんて見つけられなくなるだろう。
しかし、残された記録媒体に入っていた「ラジオの声」によって、人のあたたかさを思い出し、生き抜くことを決意する。
たとえそれが、単なる録音された声に過ぎないとしても、そこに人間の存在を感じられるというのも、人間らしいことなのかなと思った。
参照用リンク: #date20210326-165539
この作品と『Num-Amidabutsu_ENTER』で迷った。どちらも一人で死ぬ話だけど、『大往生』が避けがたく孤独になったのに対し、後者は積極的に孤独を選んだ末。『Num-Amidabutsu_ENTER』は、昨今のコロナ下での葬式の在り方にもつながる話だと思った。葬式は故人のためというより残された家族が死を受け止めて前を向いて生きていくためにある、というようなことをどこかで読んだが、この場合はどこまでも自分の寂しさを紛らわすだけの葬式で、それが余計に寂しい。ただ、最後の「電子の〜」で語られるスケール感は、残された故人=人類とも取れて、途端にグーっと世界が広がる。
『大往生』は宇宙というスケール感が最初に語られるのに対し、その死はどこまでも主人公の一人の死にフォーカスをされている。ラジオという小道具とゆっくり過ぎる時間、描かれているディテールから感じられる暖かさがより好みに合ったので、こちらに票を投じたい。
参照用リンク: #date20210319-092805
後ろを振り返るだけの最後の時間はいかばかりのものかとも思いますが、死の迎え方としてはこの上もない幸せなものだったとも思います。宇宙ステーションには 50年ほどもいたのでしょうか?もはや補給も来なかったでしょうし、食料と水はそのステーションで作られるようになっていたのでしょう。筋力維持のためのトレーニングも、本人にその気がなくても、104歳でも、実行できるだけのシステムが作られていたのでしょうね。
『カフェオレ色の』は前期の『ナイショだよ?』の視点を変えたもので、そのぶん説明的になっているのが残念です。『茶道もメタルもこのピアスも間違いなく私だ』、それはそうなのでしょうけど、すみません、私にはこの心持ちは理解できませんでした。
『僕らがいる未来』・『カレーと彼女』は青春の一幕として分からなくはありませんでしたが、心に迫るものがなかったのが残念です。『しじま』も雰囲気は良く出ていたのですが…。
『ロボット化できないもの』はありそうな近未来ではありますが、その状況なら"それ"すらロボット化されそうな気がします。人間より上手かもしれませんよ?
参照用リンク: #date20210316-130145