第218期決勝時の「なし」票です(1票)。
■補助輪■
「不審者を見るような目」の「ある」→「ない」という変化で、父親としての自覚や成長のようなものを書こうとしたのかもしれないが、ややその言葉に頼りすぎて直接的に表現しすぎている。狙いに対して性急にアプローチしすぎて、読者として主人公の実感に納得できなかった。作者の狙いの大枠は伝わるのだが、読者をひきつける何か、意外なアイデアや、読み解く楽しさ、みたいなものもほしい。
■君と缶■
女の子1(遅刻常習犯・プリベイド式携帯所持・肉まん)と女の子2(女の子1の理解者)が、「こじんまりとした少々くたびれた駅」で会話しているのを見せて、二人の心のつながり=友情?の片鱗を見せようとしている作品かなと思われる。日常系の小作品の場合は心地よい描写力で箱庭世界を覗き見せることが大事かなと思うので厳しくなってしまう部分がある。【1】駅の描写はたびたびあるのにロケーションがわからない。海or山or街、屋外or屋内など。【2】この作品の肝とも言える会話部分に創作感がある。【3】にもつながるのだが、「いつも遅刻している女の子1が今日は早い」「少し寒い→また去年みたく肉まんが食べたくなる」「ミルクティorカフェオレ→ティー選択→だろうと思った→相思相愛」この三つの話題が、主人公である女の子1の説明のための話題に感じる。【3】女の子2の人格が見えにくい。ただ女の子1が無条件に受け入れられている結果のみあり、そのことを心地よく感じている女の子1のみ見える。女の子2を好ましく思ってる女の子1視点の話のはずなのに、女の子1の情報のみ積まれていく。【4】この作品はやはり二人の女の子の仲むつまじさの描写を目的としているように思えるのだが、「相思相愛」の言葉が出てきたのが少し急ぎすぎたような印象。
■切断■
一段落目のようなことは私はたまにある。あの駐車場、前なんだったけ?みたいなことが。思い出せなくても深く考えない私は、完全に管理されている。という感想を想定した作品なのかなと思った。
■猫の生徒■
「クラスの1/3が猫になってしまった」世界だが、クラスの外でも世界的にこの現象は起こっているようだ。「一万人に一人は人間に戻れないというデータ」があり、治療のための専用の施設もあるからだ。そんな世界を、ひとつのクラスを切り取って描写することで、「元人間の猫を触ってもいいのか」という問題を、作者は扱いたいのかなとはじめは思った。担任や"別の女生徒"の主張「猫になっている人間は、人間として扱うべきで触るべきではない」と、窓際の女子生徒の意見「猫の間は猫として扱うべき。一度猫になってしまった人間は完全に元どおりというわけにはいかない」この対立の決着が確かめられずにうやむやとなり、世界観の叙述にとどまったので半端な印象を受ける。この世界で起こる面白い事象を一つ選んでもっとフォーカスするか、「元人間の猫を触ってもいいのか」問題を掘り下げるか、「触ってもいいのか問題」の問答部分を短くしてこの教室で起きた色々なことを群像劇的に記述するか、すれば私が感じた半端な印象の原因は取り除かれるとは思うが、以上三点の提案に作者がしたいことがあるかはわからない。
参照用リンク: #date20201208-083520