第98期 #8

毛にまつわる物語

 人間はおもしろい。新入社員ガイダンスの最後に、右上をホチキスで留めたB5版のコピーの紙束が配られた。
「小説です。お疲れでしょうが、一時間ばかり割いて明日までに読んできて下さい。短いですから」
 題名は「毛十本」。こんな話だった。
 ――第一毛
 私は毛深い。人を裏切るたび、一本ずつ生えていったからだ。母親に嘘をつき、学校を休んだときに脛に一本。父親を欺き、金をせびったときに腕に一本。そして――

 同期入社は一人。女だ。十人の会社に二人の新卒者が採用された。出社三日目の昼休みに同期が言った。
「第五毛が良い。あなたは」
「私は、うん。まだそんなに読みこんでないから」
「毛」に関する問答は朝から四度目だった。しかもそれぞれ違う人から。あれが好きこれが好き。話題がうまれる。「毛」を媒介に社内は結ばれていた。例えば第五毛。色の話で、色の名前を知るたび毛が生えていく。この第十毛まである短編集随一のうつくしい幻想怪奇譚だと、読んだときに思った。俺は同期の性格の一端を知った。まるで「毛」は鏡だ。なるほどこの会社はおもしろいことを思いついた。

 二年経った。一所懸命に働いた。会社の理念を理解しようと努めた。楽しい。同期が一昨日に辞めた。辞め際、こう言った。
「私、ほんとうは第三毛が好きだった」
「そうか」
 第三毛は、女が男を一人知るたび、毛を生やす話だ。三毛派であることを告白するのは、女っぽいと思われるのを嫌ったため、と同期は語った。
 俺はずっと彼女のことを五毛派だと思っていた。そう思い、接してきた。その彼女に対する勘違いが彼女を苦しめ、彼女を退職に追いこんだのかもしれない。嘘はつかないほうが、良いのだろう。信じられないものは、去るしかないのだろう。素直になれないものは、これはかわいそう。

 社長に呼ばれた。
「書く書かないは、自由なんだけれど」
 毛十本」に代わる物語を書いてみないかと言われた。この質問は、三年目の社員に必ず訊くらしい。また「毛十本」が社長の手になるものだということも教えられた。そこで分かった。なぜ「毛」なのか。社長が禿頭であることに由来しているのだろう。
 九日間、悶々とした。十日目の夜に然るべき気持ちでキーボードの前に座った。会社の役に立ちたかった。キーを叩くうち、指先があつくなる。手首が痺れだし、叩けなくなった。けれども、しばらくすると回復した。ふたたびキーを叩き続ける。続き続ける。



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