第91期 #1
「今日は玉葱が安いよ!」
八百屋の店頭で野菜を眺める節子に、店主が声をかけた。
玉葱の中から良さそうな物を手に取ってみる。
「今日のは品もいいですよー」
店主の声を余所に見定める。芽や根は出ていない。表面の皮に傷はなく艶もある。
「じゃハンバーグにでもしようかしら」
主婦歴も二十年、節子の中で判断が下された。固く重みがある玉葱を選んで店主に渡す。
「毎度!」
金を払いビニール袋を受け取ると、節子は次に肉屋へと向かった。
帰宅した節子は夕食の準備を始めていた。紺色のエプロンを着てキッチンと向き合う。袋からミンチのパックと玉葱の一つを取り出した。
玉葱のかさかさした淡褐色の衣を手で剥く。姿を現したのは、白みがかった綺麗な中身。
直ぐに薄皮を剥いてまな板の上に玉葱を乗せる。包丁で余分な上下をスパッと切り落とした。
そして玉葱の中心を見据えて包丁を縦に入れると、一気に刃を落とす。
ザクンッ。
音がした後、玉葱はほぼ均等に両断されていた。
だが、玉葱を切る事で発生した硫化アリルが、節子の目と鼻の粘膜に容赦なく刺激を与える。目と鼻がムズムズして、少し涙が出た。節子はエプロンで両目を拭う。
涙も止まり、一息付いた、――その時。
まな板の上にある玉葱を見ると、断面に小さな何かがくっ付いているのに気づいた。
焦げ茶色で長さは五センチ程。細長い身をよじらせて断面から這い出ようとしている。
玉葱から這い出すとそのまま板の上に落ちた。うにうにと蠢いてムカデにもミミズにも見えた。
奇妙な蟲は節子の方に頭らしき部分を向ける。身体を震わせると、足の様な――触手の様な――黒い物体が無数に生えてきた。それが働いて、不気味にも半身が持ち上がる。
この生物には目と言える部位はない。それでも半身を持ち上げた蟲は、節子を見ている様だった。
しかし次の瞬間、節子は包丁を降り下ろしていた。
降り下ろされた刃は蟲に直撃、嫌な音を立て真っ二つにする。半分になった蟲は緑色の体液を垂れ流していた。
節子は気にもせずティッシュで拭き取り、ゴミ箱へ投げ捨てる。まな板を洗い流した後、玉葱をまじまじと見つめた。
蟲が這い出してきた所に少し穴が開いている。
節子は生ゴミ用の三角コーナーに玉葱を放り込んだ。何事もなかった様に袋から別の玉葱を出して、微塵切りを始める。
それが終わると、節子はパックからミンチ肉を引きずり出した。