第82期 #1

横紙破り

 私には祖父がひとりいた。アニメに登場する拳法使いのお爺さんそっくりの祖父だった。陽気で子供が好きで、少し頭の回路が壊れかけていたが、私には優しい祖父だった。
 ある日、学校から帰ると家の前にパトカーが停まっていた。
 警官が厳しい眼つきで母と話しをしていた。どうやら祖父が振り込め詐欺に遭ったらしい。
 私は急いで祖父の部屋へ走った。すると祖父は、私の心配をよそに歌を歌っていた。鼻から空気が抜けた感じの声で、怒っているのか笑っているのか判断がつかない抑揚で得意げに歌っていた。
「チャーラー ヘッチャラー なにが起きても気分はー」アニメの主題歌の一節を繰り返していた。
 翌年。祖父は入院した。
 末期の癌だった。
 どう接していいのか。どんな顔をして声をかければいいのか分からないまま、私は病室に入れずドアの外で立ちつくした。表札には六人の名札が並んでいた。個室の空きが無かったらしい。かわいそうな祖父。しょげかえった姿が目に浮かんだ。戸口で悩んでいると、なかから歓声らしき声が洩れてきた。
 不審に思いドアを開くと、同室の患者が笑顔で祖父を囲んでいた。
 輪の中心では祖父があのかすれた声で歌っていた。得意げに歌っていた。
「チャーラー ヘッチャラー」
 祖父の笑っている姿を見たのは、それが最後だった。
 三日後。容態が急変し祖父は還らぬ人となった。
 僧侶の読経が終わると、棺を呑み込んだ斎場の扉が静かに閉まり、作動を知らせるランプが他人事のように冷たく点灯した。皆は待合室へとひきあげ、私はひとり取り残された。というよりも最後まで傍についていてあげたかったのだ。優しかった祖父。楽しかった思い出の数々。目を瞑ると、まぶたの裏側に元気だった頃の祖父が浮かんできた。笑うと皺の数が倍になる頬。皺くちゃの唇が私の名前を呼ぶ形に動いた。すると……不意に私の頭の中へ祖父のあの歌声が滲入してきた。
「チャーラー ヘッチャラー なにが起きても気分はー」
 祖父はいま歌っているのだろうか。ヘッチャラなのだろうか。

 あれから四年。私はいま、大阪の高校へ通っている。家族全員でこちらへ引越してきたのだ。祖父がいたあの故郷へはもう三年も帰っていない。
 祖父の墓は荒れ放題となり、猪などの住処になっているかもしれない。
 でも、たぶん心配ない。あの祖父のことだから。今頃は、猪どもに凄まれながらも、あの歌を得意げに披露していることだろう。



Copyright © 2009 三毛猫 澪 / 編集: 短編