第51期 #1

教室と廊下の狭間

 多分年下だと思う。彼女の胸のあたりまで伸びた髪の毛が、風にひっかかっている。そんな人が廊下で赤い顔をしながら、ぼくのことを見上げている。
 なんだろう。そう思いながら、ぼくはブレザーにひっついている校章を気にする。曲がっていたら、彼女が居る印。そんなことを聞いたことがある。
「あなたのことが好きです、ずっと前、あたしが入学したときからずっと好きだったんです、告白したら避けられると思って、それで、今まで言えなかったんですけど、あの、あたしと付き合ってください」
 彼女の肩にかかった髪の毛がゆらゆらと揺れる。この子はなぜぼくなんかに告白するんだろう。思うけれど言えない。意味が判らないまま、震えた手で鞄を持つ。放課後の、教室と廊下の狭間。そんな微妙なところで行われる、愛の告白。

「ごめんなさい、嫌ですよね、こんな私となんて、付き合いたくも無い、解ってます、本当にごめんなさい、ごめんなさい、でも好きなんです、迷惑かけている、分かってます、でも好きなんです」
「えーと。ごめん。ぼく、あなたの名前、知らない」
「あ、坂田です」
「いや、名前なんて呼ばないけど」
 彼女が、哀しい顔をした。鞄を床に置く。藍色の鞄が斜陽に照らされて、変な色になっている。
 林檎は塩水につけておくと変色しない。何時だったか、国語の先生が言っていた言葉を思い出す。

「で、」
「ごめん」
 この人は、ぼくのことを好きだと言った。髪の毛はさっきよりもゆらゆらしている。ぱさり、ぱさり。
「でも、好きです、ごめんなさい」
 そんなこと言われても、と思いながら、ぼくは鞄を持つ。布団が吹っ飛んだ。何時だったか、国語の先生が言っていた言葉を思い出して、笑えてくる。

「そう言われても困るし」
 笑いながら言ってしまった。布団が吹っ飛んだ、が頭を駆け巡っているせいだ。
「あっ、そうですよね、ごめんなさい、ごめんなさい」
 ぼくの笑いが治まった。彼女は、何度謝ったら気が済むのだろう。そう思いながらも、手は校章を気にしている。仏頂面の、ぼく。
「さよ、なら」
 ぱたぱた。ぼくに耐え切れなくなってしまったらしい。彼女はそれだけ言うと、勝手に走り出してしまった。

 彼女は行ってしまった。なぜか頭が痛い。頭が頭痛。何時だったか、国語の先生が言っていた言葉を思い出して、笑った。腹の底から笑った。
 でも。
 無我夢中で走っていった彼女はきっと、泣いている。



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