第31期 #13
気がつけば男の子はひとりぼっちだった。
湿った床の匂い。冷えた夜具が唇に触れ、男の子は目を覚ます。どうしようもない寂しさに彼は少しだけ泣いた。
なぜこうなったかは知らない、いつからなのかも分からない。ただ気がつけばひとりだった。
男の子は昼から夜のあいだ、酒場で皿を運ぶ仕事をする。店がひければ帳場の隅に床を敷き、寂しい眠りについた。延々と続く空しい時間の繰り返し。
そんなある日、酒場に旅途中の隊商が訪れ、小規模の宴を張った。男の子はその中にいた年上らしい少女から声をかけられる。最初、話しはぎこちなかったが、彼らはすぐにうちとけた。
「あなたのお母さんはどうしたの」
「お母さん、それはどういうものだろうか」
「あなたを産んでくれた人。知らないの」
「ぼくは誰も知らない、ずっとひとりぼっちなんだもの」
少女のなめらかなほほを涙が伝う。彼女は男の子の手をとり、自分の唇に押し当てながら云った。
「これを持っていてごらん、きっとお母さんに会えるから」
小さな掌に、なにかがすべりこんでいた。
店の中で隊商の動きが慌しくなる、出発の時がきたらしい。聞けば、これから次の町まで夜っぴて歩くと云う。
「つらくない」
「だいじょうぶ、ずっとそうだったから」
「さようなら、またいつか会えるね」
「きっと会えるよ、さようなら」
少女を見送ったあと、男の子はそっと掌をひらいてみる。それは銀の光を浮かべた小さなブローチだった。
――お母さん。男の子は初めてその名を呼んでみた。やさしい響きが小さな胸をくすぐった。
その夜、男の子は夢を見た、母に抱かれる夢。
やわらかくあたたかな思い。――なんてやさしい匂いがするんだろう。
甘いぬくもりに包まれながら男の子は目を覚ます。彼の身体は母親の腕の中に抱かれていた。
「お母さん」男の子はそっと母を呼んだ。
「どうしたの」
「うん、どうもしないよ。ただ目が覚めたの」
「それではまたお休みなさい」母親はいっそうやさしく彼を抱いた。
「はい、お母さん、お休みなさい」
母の腕にほほを押し付けながら男の子は思う。――なにかとても怖いような、でも不思議な夢だったな。
やわらかなぬくもりに包まれ、やがて男の子は眠りにおちる。軽く閉じた掌から、小さな銀の光がこぼれておちた。