第267期 #5
世界中でビートルズの幽霊が出るようになって四年が経って、みんなもう自然にそれを受け入れているようにみえる。
出てくるのは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの四人、1962年10月にザ・ビートルズとしてデビューした四人だ。彼らは若くて、一人だったり全員だったり、歌ってたり何もしてなかったり。ネットで調べると、わんさか目撃談が出てくる。
落ち込んでいたらポールがなぐさめてくれた。同窓会でジョン・レノンと肩を組んで歌った。葬式のお経と一緒に生演奏の「ゲット・バック」が流れていたとか。
ビートルズの幽霊は体が透けていて、肩を組んだりできるけど、すり抜けることもある。声も聞こえているような気もするけれど、こちらの言葉は大体無視される。幽霊と言ったけど、まだポール・マッカートニーも、リンゴ・スターも生きているし、よくわからないデタラメな現象という感じだ。ちなみにポールとリンゴの前にはまだ現れてないらしい。
僕はこの現象の原因は解明されないだろうと思う。
ただこの現象が、世界を少しだけ優しくしてくれたらいいなと思っている。
僕の両親の話をする。
僕のパパは職場の人と浮気をしてしまって、それでママと喧嘩して、結局離婚はしなくて、でもしばらくして、パパの心が限界になって働けなくなった。
その日の夜、僕とパパがリビングでゲームをしているときに、ママが仕事から帰ってきた。シンクにはパパが洗うはずだった夕食のお皿が残っていて、ママはそれを見て何かパパに言った。僕はまずいなと思ったが何もできなかった。ママが大きなため息をついて、パパはぎゅっとコントローラを握って立ち上がり、ビートルズが「イエスタディ」を歌った。
優しい音楽だけの時間が流れ、やがてパパが「ごめん」と言うと、ママは小さく何かつぶやいて二階に上がっていった。
ビートルズはリビングで歌い続けていて、パパはそれを聞きながら洗い物を始めた。
僕はそのとき、最初からビートルズがいてくれたらと思った。何かを決定的に壊してしまう前に、みんなが少しだけ落ち着いて、少しだけ優しくなれたら。
僕はそんな風に勝手に考えて、嫌な奴に嫌な顔で嫌なことを言われたときでも、まずビートルズを思い出してから、殴りかかることにしている。ビートルズがいる場所で、ビートルズの歌を聞きながらやるべきことって、そんなに多くない。