第256期 #5

さくさくしてて。ずるずるしてて。

引越しそばは出てくときに食べるのか、新しい家で食べるのか、どっちが正解なんだろうか。母と父と囲む最後の真昼の食卓で、出前の特上天ざるを目の前に私はそんな事を思うのだった。

父は職場で不倫をしていたらしい。小学生の私にもクラスに好きな男の子は2人居るし、不倫なんて朝のニュースでほとんど毎日やっている。日常にありふれたちょっとした不幸にたまたま出くわしただけだ。私にとってはみんなの前でリコーダーのドが上手くならなかったのと別に変わらないことだった。

スマホでポチポチ調べると引越しそばの件はすぐに解決した。別にどっちでもいいらしい。

母はいつもそばを食べる前に海老天を私にくれる。私のだけ特々上天ざるにしてくれるのだ。ただその日はいつもと少し違った。

『お前海老天好きだったろ』
父はそう言うと食べかけの箸で自分の海老天を私の方によこした。天紙を伝って『父』が天ぷら全体に行き渡る。私はそれ以上食べることが出来なかった。母は温度が下がった黒目でその光景を見ていた。

そばを食べるとすぐに母と2人でこの家を出た。明日からは母の実家で暮らすことになっている。

家を出るとき後ろから『おい』と聴こえた気がした。母も私も振り返らなかった。

電車の中で母が私に聞く。
「明日お昼にはじいちゃんの家着くけど何食べる?」

「そば」
私が答える。

「また?」
母は笑う。

「だってどっちでもいいらしいから。」

私がそう言うと、母は不思議そうな顔をしていたがどうでもよかった。私の気持ちは、明日の特々上天ざるに向いていたから。



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