第254期 #6
さっちゃんはね さちおっていうんだほんとはね だけど田舎だしでかい家の長男だから自分の事はじぶん、とか、わたし、とか、おれ、とかって呼ぶんだよ
まじめだね さっちゃん
さっちゃんはね ピンクと口紅とスカートがだいすき ほんとだよ
だけど田舎のでかい家の長男だから丸坊主にして背筋をがんと伸ばして地元の名門校の黒い詰襟を着てるんだよ
背が高いから似合うね さっちゃん
さっちゃんはさ 家の事も両親のことも好きだっていつも言ってたね
だけどこの前なんの話の続きだったか覚えていないけれどぼくにだけそっと、家の事も両親も大嫌いだって言っちゃったね
きっと両方ほんとなんだよね さっちゃん
さっちゃんとさ この前けんかをしちゃったね
だって慰めてあげたのにてめえなんぞの遊冶郎になにがわかるなんて言うからこっちだって遊冶郎で何が悪い、先祖代々由緒正しき恥じることなき遊冶郎様だぞってなっちゃったよね
これはぼくが悪かったね さっちゃん
さっちゃんはね 女子プロレスが大好き ほんとだよ
夏蝉蒸し暑い閑散とした市民体育館のその一番後ろの席で、リングを観ながら、ああ、さっちゃんは、静かに静かに泣いていたね
また行こうね さっちゃん
さっちゃんはね お金持ちで頭がとっても良くて背が高くてそしてカッコいいから女の子にもてるんだほんだよ
だから女の子にはとてもひどいことをしちゃうのかな
女の子たちもぼくもおまえのママじゃねえぞ さっちゃん
さっちゃんとさ 一度だけラブホテルに行った覚えがあるけどほんとかな
確かあの夜は終電がなくなったからとかなんとかでそれで安く泊まれるところってなって二人でラブホテルに入ってそして朝までエロビデオを観ながら快楽としての物語性を批評しあったりルールも解らないスロットをやったりしたねお互い目も合わせずに
あの朝はカラスがとてもいっぱいいたね さっちゃん
さっちゃんがね とおくへ行っちゃったんだ 唐突に
何の書置も無く急にいなくなっちゃったから大騒ぎになって、さっちゃんの両親も、あのかわいい妹ふたりも気が狂ってしまったけれど、ぼくは知っていたよ
また会おうね さっちゃん
さっちゃんはさ いまどこで何をしているのか 教えてよ
世界はバイオ技術によって産まれながらにしてジェンダーの軛から解き放たれてしまったから、平等で平和な世界だから、きっとみんなさっちゃんのことも忘れてしまったね
こんなひどいはなしは無いよね さっちゃん