第251期 #8

夏は招く

 夏になると旅人は活発に行動する。彼らのツイッターをよく見てほしい。ローカル路線に乗車している旅人は「海に面した寂れた駅で臨時停車した。年配の女性が下車した」と実況するだろう。女性の後姿の写真をアップロードするかもしれない。それが開店の合図だ。見かけたらすぐに旅行の準備をして現地に向かうことをおすすめする。
 その駅近く、国道沿いにはコンクリの建物があって『ドライブイン』という看板が掲げられている。普段は閉まっているそこへと女性は向かうはずだ。彼女はしばらく滞在して料理を作り、毎年、夏の限られた期間だけ店は開く。これはその土地の住人みんなが共有する秘密である。
 検索よけのため題名は伏せるけれども、有名な映画がかつてそのドライブインで撮影された。主人公は夜通し列車に乗ってきて、朝もやの中、駅に降り立つ。女店主は店の外に出て、海を見ながら主人公の到着を待っていた。
 最近の若い人は主人公の役者の名前を知らないだろう。今ではほとんど芸能活動をしていないから。
 女店主が主人公に出すのはカツ丼。主人公は一気にそれをかきこむ。女店主はその様子を無言で見ている。その顔は微笑んでいるようにも見える。

 私は秘密を共有している人間なので、毎夏ドライブインを訪れカツ丼を食べていた。彼女はいつも雪平鍋を使う。そして「カツは出来合いだけどね」と笑う。一方、卵の火加減と三つ葉は完璧である。かかっているテレビを見ながら一言二言会話する。期間限定営業でメニューはカツ丼だけ。カツがなくなったらその日は終了。のれんを外し、その後彼女は読書をしたり散歩をしたりして夏の日を過ごすようだ。

 秘密と言いつつ今私がこの文を書いているのにはわけがある。コロナがあったので彼女が来るのは四年ぶり、住人は少なくなってしまった。それからその路線はいつ廃線になってもおかしくない状態だ。
 言い古されたことだけれども、人生は旅で旅には発見が必要なので、読者の方々は是非ここの限られた情報からそのドライブインとカツ丼を見つけ出して『出来合い』ではない体験をしてほしい。

 ちなみに彼女は映画中では食べるほう、つまり主人公である。女店主を演じた人はその映画公開後しばらくして亡くなった。「撮影の間、食べっぷりをすごく喜んでくれたんだよね」と、いつだったか彼女は私に話してくれた。今年私は、よい食べっぷりを披露したい。彼女は喜んでくれるだろうか。



Copyright © 2023 (あ) / 編集: 短編