第232期 #1

真っ白な世界

断絶。

僕の目の前の景色だ。
誰とも決して繋がることのない世界。僕はここを選んでやってきた。僕は正しかったはずだった。
白い壁に囲まれたこのだだっ広い空間に、僕は自ら身を置くことを決めた。机と椅子が一組。遠くから微かにショパンが聞こえる。音楽はここでの孤独をより際立たせた。それは僕の望んだ空間だ。
僕がここを選んだ理由。それはどこも同じだからだ。僕にとっては誰がいようがいまいが、何があろうがなかろうが、何の変化もない。だったら煩わしくない方がいい。僕は無機質な環境を求めていた。誰にも何にも干渉されない、ただ白く広がる世界。何かを生み出したいなんて考えもしない。ただ命を消費するだけの静かな空間が欲しかった。
そもそも「命」なんて響きもひどく嫌悪していた。どこか暖かみを帯びたその言葉は僕の心に波風を立てる。ただ冷たく、ただ静かに過ごしたい。一瞬の波動も僕には煩わしいものだった。

だがある日、夢を見た。

僕が子供の頃、両親や兄弟と公園を走り回っている夢だ。まだ声変わりしていない僕の笑い声が高く響く。父がおどけながらそれを追いかける。周りの家族がそれを見てまた笑う。外を見ればそこら中に溢れている日常の風景がただただ懐かしかった。
目が覚めると僕は泣いていた。懐かしさと狂おしい程の愛おしさ。こんな感情は二度とわかないと思っていた。家族の幸せだった記憶が僕の心を呼び起こしてしまった。
僕の体の真ん中に巣くっていたものは「孤独」という名前だった。僕はそれを抱えながら、いつしかその重さに耐えきれなくなってしまった。僕は全てを投げ出した。孤独と一緒に大切なものも全て投げ出した。そうしないと潰れてしまいそうだったからだ。亡くしてしまった大切な家族。僕の幸せはもうどこにもない。そう思っていた。
思い出は僕を優しく包み込む。心が波立つと少しだけ怖いと思った。だがすぐに気づいた。この思い出こそが僕の救いであると。思い出の中の僕たちは間違いなく幸せだった。僕の幸せだった記憶は僕が愛された記録でもあるだろう。この記憶が続く限り、僕は愛されたことを忘れずにいられるんだ。

周りの風景を見渡した。真っ白な世界。僕を一ミリも揺らさない世界だ。
僕は壁の端から一面に色を足し、真っ白な空間をカラフルに塗り直し始めた。



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