第198期 #1

淡い、淡い。甘ったるい。

 チカチカと光るチューナーのメーターを見ながら、か細く鳴る弦に耳をすませていた。それで何気なく考えた。この弦のか細い音のように、ぽそぽそと囁くのが常な喉の弱いうちのボーカルのことを。抜けるように肌が白く、小動物に似た愛らしさを持つ彼女のことを。

 昨日の寒空の下だった。
 練習前外で待ち合わせたついで、音源と譜面の入った袋をボーカルである加代子さんから受け取った時だ。指が、多分触れたのだろう。僕が気づかないくらい些細な接触だったが、途端彼女は「冷たいねぇ」と心配そうに目を丸くしてみせた。そのまま両手のひらを差し出して、僕の手をそっちに伸ばすように示した後「私、手だけはあったかいの」と笑っていた。
 本当の所、このようなシチュエーションは気恥ずかしさもありはばかれるのだが、仕方なく促されるまま手を出したのだった。

 加代子さんのことを考え出すと、もやもやさせられる。今日だって気がつけば、あの小さくて白い手の柔さと温さを思い起こして何度でも余韻に浸ってしまうし、いい加減自分が嫌になっていた。
 なんというか角砂糖が口の中で溶け出して、ざらついた強い甘さが胸の辺りに広がっていくような感覚になる。それはつまりの所、僕は彼女のことを好きになってしまいそうで怖いということなんだけど……。


――加代子さんは、ズルいな。


 頭が騒ついている。特別に意識しないようあえて気を逸らしていたというのに、向こうは遠慮なしに滑り込んできた。あの時手を温めたのはただの親切心だろうけど、僕の意識を揺らすくらい生々しく伝わってきた感触だった。
 特別な意識がないにしろやっぱりズルく感じる。というか彼氏が居るのに躊躇いもなく、ズルい……。
 別に僕は加代子さんと付き合いたい訳でもないし、彼氏との仲を邪魔したい訳では決してないけれど。この胸のもやもやが何かの間違いであってくれと、ただひたすらに願っていた。

 どの弦もチューニングが済んだので、ピックを振り下ろし弦を一撫でする。粒の揃った音が心地よく響く。
 さて練習曲でもやろうと、昨日もやった曲のイントロを始めると二人で入ったスタジオ練のことが浮かんだ。僕の手元を必死に目で追って、歌をギターの音色に乗せて揺れる加代子さんの姿を思い返す。

 結局どこまでも付いて回る淡い昨日の記憶に振り回されながらも、僕は目を細めていた。



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