第187期 #13

イドの蘇生

 眼を覚ますと、イドは見知らぬベッドの上で寝ていた。痺れた頭は記憶も曖昧、弛緩した四肢はまるで他人の体。彼は人形のように転がっていた。
 イドの傍には三人の男が立っていた。皆一様に白衣を纏い、その相貌は爬虫類じみた酷薄さ。揃いの眼鏡に映るのは、初老の男の戸惑い顔。
「イド卿、お加減は如何ですか?」
 白衣の一人はそう尋ねながら、彼の胸に聴診器を当てた。続いて、瞳孔確認、脈を取る。
「混乱されているようですね、無理もない。今、ご説明致します。貴方様は亡くなっていたのです」
 唐突に、男は妙なことを口走った。イドは唖然としてその言葉を反芻する。
「ですが、御安心下さい。研究は見事成功致しました。死亡の二日前までの貴方様の情報は、培養済みの複製体に転送されたのです」
 あまりに馬鹿げたこの話。笑い飛ばせば良いものを、彼にはそれが出来なかった。頭蓋の内で囁く声。朧なる意識に浮かぶ過去の像。水面にゆらぐ月のような真実味。確かに彼は、その研究を知っていた。
「自我の定着には時間が必要、暫くはこの治療室で安静に」
 男の言葉通り、数日もすると、大凡のことを思い出していた。科学省の大臣たる己の身分。狂気じみた〈科学的な蘇生〉を推し進めた己の野望。真実、彼はイド本人である。
 だが、おかしな不安に心が疼く。今の己は、本当にイドなのか知ら。もし、今一度、同じ行程を繰り返して生まれる者がいたならば、彼もまたイドに違いない。彼は声高に叫ぶだろう。己こそがイドであると。中身も外見も同じ二人。どちらも真で、偽ではない。二人ともがイドなのだ。
 自分が自分である根拠。それが揺らぐ恐ろしさ。不安は彼の心を激しく苛み、後悔が全てを打ちのめした。
 イドが研究の中止を決意するまで、そう時間はかからなかった。
 彼は治療室の外にいる部下の白衣達に、それを告げた。最高責任者たる自分の意見を無碍に出来るはずもない。しかし、どんなに叫び喚き、暴れても、彼等は無視を決め込んだ。否、その実、興味深げに観察していたのだ。
 暴れに暴れ、疲れ果てた頃、一人の男が彼の前に現れた。
 彼を見つめる眼に浮かぶのは、落胆と僅かな憐みの色。男は深い溜め息を吐いた。
「嗚呼、お前も駄目か。やはり、〈私〉は研究を止めてしまうのだな」
 男は周囲の白衣達と囁きあう。もう誰も彼を見てはいない。
 蚊帳の外のイドは、茫然としてその男の姿を眺めていた。
 イドは、そこにいた。



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