第171期 #1
風が言うには、気をつけた方がいいよ、と。それは気づかぬうちに混入してくるものだからね、と。
コートを着込んでマフラーをぴっちりとまく。帽子を深くかぶって手袋で指先までをも包み込む。眼鏡をかける。マスクをつける。丈の高いブーツを履く。これで完璧だと思っていたのだけど。
振り返って地面を注視する。なるほど、これでは足りないらしい。影がすべてを教えてくれる。わたしの影から形を崩して流れ出している靄。その周囲からわたしの影へと入り込もうとしている暗闇。どうにもこうにも、守れるものではないらしい。
彼女は化粧が上手だ。あれもこれも塗りたくって、二重にも三重にも肌を覆い隠して、人工的な香りで体臭を隠してしまって、そうして、今でも自身の形をなして生きながらえている。
人生はね、と彼女は言う。生き残ったものが勝ちなの。何を踏み台にしてもいいのよ。誰を傷つけてもいいの。
あなたにそれができる?
わたしはしゃがんで影に指を伸ばす。自身の影をぐるぐるとかき混ぜて、近寄ってきた暗闇と合流させる。暗闇がわたしのなかに入ってくる。身体中が熱くなって、身を守る必要性を感じなくなり、わたしは身を覆っているものをすべて剥いだ。
暗闇がわたし自身を内部から覆う。そうして、わたしの声を乗っ取って言うのだ。ヒトというものはね、と。わたしは続きを待つ。けれども、その先は聞こえてこない。
わたしの喉はすでにわたし自身のものではなく、わたしの声はすでにわたし自身のものではない。わたしの身体はすでにわたし自身のものではなく、わたしに触れるものはすでにわたしの知るものではない。
すべてが変わってしまったのだと知る。知らない。知ることすらできない。
風がわたしの周りを舞い、わたしだった影を散らしていく。わたしは日の光の下に立ち、すでにわたしには影がなく、わたしはどこにでもある単なる暗闇である。