第161期 #14

体内時計

 脳内にけたたましいアラーム音が響く。午前6時半きっかりにセットされたそれは俺にとって最も不快な音で俺を叩き起こす。意識が覚醒するにつれ音は止んでゆく。
 余裕を持って朝食をとり調整された通勤時間に従って職場へ赴く。今では画一的な通勤ラッシュというものは存在しない。いわゆる社会人たちはそれぞれの体内時計に従い職種ごとに割り当てられた時間割で生きる。例えば俺たちは午前0時頃にはたいてい眠くなり6時間半の睡眠時間を与えられ午前9時に出勤する。リアルタイム通信で管理された体内時計は俺たちの意識状態と位置情報をモニターし適切な干渉を行う。今や時間外労働は筒抜けとなり前時代的な規則違反の労働環境は一掃された。もはやタイムカードは必要なく、俺たちはただそこにいて覚醒しているという事実を以て就業時間を証明する。
 席に着けば隣の同僚が今朝も強力なエナジードリンクを空けている。彼女は自称するところのショートスリーパーで、6時間半の睡眠では却って頭が重くなるのだそうだ。余分なカフェイン摂取が常態化した現状は哀れですらある。
 誰のための制度なのだろう、ふと考える。流入し続ける安価な労働力、対抗して自らを投げ売りせざるを得なくなった多くの日本人労働者。止まらない労働市場のダンピングに移民たちが音を上げ始めた頃、満を持してもたらされた政府による救済。それがこの体内時計だったはずだ。睡眠時間を確保し労働時間を管理する。あらゆる不正競争は排除され労働者の生命が保たれる。体内時計を得ることが大人になるということ、つまり社会に出るということを意味し始めてもう10年が経つ。
「やってられませんよねえ」
 俺は卓上カレンダーにチェックを入れながら隣に話しかける。働き始めた時点で負け、そんな言葉が返ってくる。しかし続けて「でももう少しマシなところに転職します」
 今の労働市場は白すぎる。どこに行っても労働基準は完璧、休日を除けば生活リズムの乱れすら生まれない。
「私ね、こないだ知人にいい仕事口を紹介されたんです」
 だから彼女のような存在が生まれてくる。自ら日陰を探し求め、あるいは作り出す者たち。
「じゃあもうインストールを?」
 ええ、彼女は答える。今月末で退職する手はずだという。体内時計をごまかす違法パッチが出回り始めたのはいつだったか。今も彼女の頭に鳴り続けるアラームは今月限りで役目を終えるということだった。



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