第146期 #19
霜月、富山は黒部渓谷。小雨の降る、宇奈月駅のホーム。
写真をとる、ホームの色を持たない乗客たちが、赤い客車に乗っていく。すり減った、古いカメラを手に、自分も幅の狭い乗車席にこしかける。長く連なった車両。走り出す。四軸の、オレンジ色のトロッコが二台、客車を牽引していく。
ふもとと離れる、はじまりの、赤く大きな新山彦橋を渡っていく。色づいた山の木々に、降りてきた白い雲がかかっている。向こうでは、ビニール傘をさした人たちが、こちらに手を振っている。
橋の向こう、山に空いた、丸いトンネルに入る。トンネルが連続する。抜ければ、黒部川を横目に走る。きれいな青碧色をした川の水。木の幹に、隠れるようにして見える仏石。山の斜面は、赤、黄、橙。雲の白。ゆたかな彩りに包まれた世界に、むろいが滋る。
客車に動力はなかった。黒薙の駅にとまると、エンジンの音が聞こえない。山からの音だけの、静寂の世界。僕をとおりこして、流れていくのは、色を持たない人の声。家族連れやカップルが、ホームへと降りていく。
続く線路。続くトンネル。心地よい揺れ、疲れ。まぶたがおもたくなる。トロッコの走る音も、とおくなっていく。
歩いて、歩いて、歩いて。思えば遠くへ来たものだ。木々の間にのびる、先の見えない細い道を、ゆるやかな、坂道を、走らず、時折立ち止まり、立ち止まっては、歩いて。六年の月日が流れていた。
「石の上にも三年」というけれど、僕は六年だった。人よりも、要領が悪い、効率が悪い。人が一つ間違えば、二つのことに、気付けるところを。要領のいい人なら、三つ、四つと、気付けるところを。僕は一つ一つ、人からすれば、同じ間違いだということも。時には自分でも、同じ間違いだと思うことも。
強くない。そんなに、歩き続けられる、ものではない。時には冬季歩道。立ち止まり、休み、うずくまって、情けなく泣いてきた。
子供が黄色い帽子をかぶって、小学校に入って、卒業するまでの期間。中学、高校と、青少年が思春期をやりきるまでの期間。それと同じだけの月日を、一人、歩いてきた。
うっかりまどろんでいた、自分に気付いて外を見てみると、トロッコは雲の中。終点、欅平の駅に着いていた。手に新しいカメラ、ホームへ降りる。ここまで乗ってきた人間は、気付けば僕一人。
改札を抜ける。僕はそこにいた、色のない女性から、「おつかれさま」と、頭に枝葉の冠を頂いた。