第122期 #22
柚子と書いてゆずこと読む名前だったが、三歳の時に丸柚餅子を食べてからそれの類にすっかり嵌ってあちらこちらでゆべしゆべし歌っては笑うものだから、いつしか両親以外の誰からもゆべしちゃんと呼ばれていた。
おかっぱが商標の小柄な子で、毎日スカート姿で男友達と走り回っては夕飯が出来るきっかり五分前に帰ってきて、茶碗飯を二杯、鶯豆や小女子の佃煮、肉味噌に牛肉時雨煮など、甘い物ばかりを友に食べた。更に風呂から上がって歯を磨く前、必ず竹皮柚餅子を一つ、至福の表情で食べた。
丸柚餅子は手間も時間も掛かる高級茶菓子であるから、家に常備しておく訳にも行かない。手軽な竹皮柚餅子をあてがって誤魔化す手は、以上の理由から考え出された婉曲的手段だった。ところが、小学校に入ると泥遊びから一転、図書の愉悦を覚えたことで柚餅子との関係は変わる。
最初は伝記に現を抜かしていたが、図書室に飽き、母親に着いて市営図書館を訪れると、すぐさま大人向けエリアに足を踏み入れる。そこで、ご飯のお友やら和菓子の単語をつらつら検索しているうち、丸柚餅子の希少性と作り方に辿り着いたのである。
以後、台所の片隅が丸柚餅子製造所に変わる。
ところで柚餅子の他に猫が大好きだった。本の虫となってからも晴れた日には近所の駐車場で猫に囲まれて空を見上げたり、特に仲の良い茶白の老猫の前足をいじりつつ転寝をしたり、丸きり猫のようだと近所の評判だった。相変わらずゆべしちゃんと呼ぶ人もいれば柚子猫ちゃんとか、黒いおかっぱを指して黒猫ちゃんだとか、愛情を込めてか知らない、好き放題に呼ばれるようになった。
仲良しの茶白は老い先短そうながら不健康に太りも痩せもせず、ファーのごとき巨大な尻尾をゆらめかせては、家の隙間に消えて行ってはいつの間にか隣に寝ている。猫じゃらしを見せても小さく鼻息を吐いてそっぽを向き、猫なのか妖怪なのか分からない。
気になって尻尾の先をひょいと触ってみたらば二つに分かれており、見てはいけないものを見た心持ち。茶白も気まずい表情で睨み返すので、たまたま鞄に入れていた丸柚餅子を差し出したらば、また鼻を鳴らして三口で平らげた。
人間のお菓子を上手そうに食べて平気など、猫又に違いない。また、茶白はもっと寄越せと言わんばかりにごろごろと鳴く。
何かの託宣と思い、それからは柚餅子作りに精を出しつつ、裏では猫又とじゃれる生活である。