第105期 #5

ひとりになるまで

 大切だと思っていた人が、私の人生から、音も無く去った。六月の半ばのことだった。
「巻き添えを食わなくて、良かったじゃないすか」
 ピーマンの肉詰めの、最後のひとつを突ついて、天田は、さほど興味なさそうに言った。
「巻き添えって、DVとか、心中とか?」
「そうっすよ。そっか、もう桜桃忌か」
「おうとうき?」
「俳句の季語で、太宰の命日を、そう言うんすよ」
「へえ」
「もう少し、何かないんすか。由来を聞くとか」
 吹き出しかけて、天田は、小さな缶から血色の良い唇を離した。
 今では珍しい、缶入りの緑茶を、彼は愛飲している。
 シャープなのだという。

 帰宅途中、少し寄り道すると、大きな公園がある。よく二人で、中年カップルの逢瀬を観察に行った場所だ。
 見て、面白いわけではなかった。ただ、そのバイタリティーにあやかりたいという、ある種の信仰だった。
 しかし、せっかく暗いのに、誰もいなかった。
 ぬるい風が、やさしい音を立てて、帰れと促す。

 部屋は、がらんとしていた。ものが減ったかというと、そうでもない。それでも、がらんとしていた。
 気に入っていたはずのスプーンや、結局一度も見ていないDVDなど、どうせなら持っていって欲しかったものが目について、イライラする。
 頭が痒くなって、入浴。

 目を閉じると、子どものころを思いだした。なんでかなあ、と思ううちに、どんどん背が縮んで、いよいよ足元がおぼつかない。
 仲の良い子が、緑のインスタントカメラを顏に押しつけて、公園を行ったり来たり。おおい、と呼んでも、フレームインしても、私に気づかない。
 私の目では捉えられない、光を見出したのだと、もちろん、そんな気取った言葉は使えなかったけど、私はそのとき、確かに感じた。

 着メロと着エロは、字面や語感よりも、その本質の儚さで似ている。誰かが、訳知り顏で言っていた。
 私はそうは思わない。着メロを止めた。
「はあい」
「あ、寝てた?」
「寝てた」
「ごめんねー」
 休学することにした、と妹が言った。
 することになったのか、と私は感心した。

 深夜の冷蔵庫は、うなされているようだ。
 さけるチーズにとろけるチーズ、スライスチーズに粉チーズ。チーズもいろいろ大変だと、6Pチーズを3P食べた。
 残った3Pを食べる人が、もういない。
 そこでようやく、かちりと音がするように、わけがわかった。
 ひんやりとした空気が、私の頬を撫でる。いつもより冷たい。



Copyright © 2011 丹羽ちちろ / 編集: 短編