第1期 #16
そうそれは遠い対岸から届いたような、ちいさな音だった。
だが大窪の注意をひくには十分だった。客との会話を中断して振りかえった。ふと名前を呼ばれたような気がして振りかえる、そんな感じだ。
「どうしたんですか、店長」
大窪はゆっくりと客に向き直った。営業用の微笑が戻っている。
「変な音が聞こえたような気がしたもんで」という返事に顔なじみの客はあいまいにうなずいた。
「で、この写真の服なんだけど」という客との会話を途中で切り上げ、ほかの店員に任せた。上得意の客を店員に任せることはあまりない。だが、さっき聞こえた音はすべての優先事項を変えてしまうほど彼をひきつけた。だが、音の正体はわからずじまいだった。
仕事を終えマンションに戻っても、音のことが気になりくつろぐことはできなかったが、そのうち眠気の波に飲みこまれソファーで眠りについた。
「ねえ、ケン。いま、鈴の音聞こえなかった」
目の前に姉が幼いままの姿で立っていた。ああ、夢なのだと思った。そして姉の命日がちかいことを思い出した。
「うんん、何も聞こえなかったよ」と幼い大窪はいう。姉はこの二日後、事故で死んだのだ。もしかしたら、と思った。鈴の音について聞きたいと思ったが、夢を自由にあやつれなかった。
「それならいいけど。ねえ、あれで遊ぼ」といい姉は駆け出した。追いつこうと走り出したが、追いつけなかった。
そして夢は覚めた。
空はまだ明けきれていない。ソファーの隅に転がっていたショートホープの箱を取ると、一本取り出して火を点けた。夢と音を結びつけて考えている自分を「バカバカしい」と口にだして否定した。もう一度「バカバカしい」と言い捨て、タバコと一緒に灰皿に捨ててしまうことにした。
姉の法事は問題なく終わった。すべては思い過ごしなのだと思いながらも、胸のしこりがとれずにいた。
その日はとても暑かった。大窪は汗をふきながら信号が青にかわるのを待っていた。視線を同じように信号待ちをしている反対の人ごみに向けた。
チリーン。すぐ後ろで鈴の音が鳴った。大窪は振りかえった。だが彼の後ろにいるはずの人々の姿はなく、ぽつんと少女が立っていた。
少女はゆっくりと、顔を上げた。
大窪が驚き数歩後ずさりすると、少女の姿は消え去り人々の姿が戻ってきた。
「危ない!」という声にかき消されたが「ケン! 危ない!」という姉の声が聞こえたような気がした。