仮掲示板

Re:73期決勝投票のコメントについて

〉で、まあ砕いて言うならば「身内投票でもいいから、せめて考えて書けよ」ってことです。少なくとも推す作品が、他作品と比べてどう優れているのかを書かなければ、「決勝投票」というシステムが何の意味も為さない。「他作品に言及しない」という方法をとることは、「他作品に比べて優れた点を提示しない」つまり「再吟味しない」ことであって、それでは「決勝投票」が何の意味も為さないと、ぼくは思うわけです。

こういう考えを持っている人がいるとは思っていなかったので、正直驚きました。
投票以外の感想を書くつもりはなかったのですが、「言葉に触れるということは、それが正しく伝わるかわからない緊張感」というやつに私も触発されたので、今期のKさん「影踏み」の感想を書かせてもらいます。これからも小説を書きつづけてください。そして今期のような投票あるいは感想が読めれば、読者のひとりとして、さらに短編が楽しみになります。ちなみに、私は過去作品も読んだことがありますが、正直なところ、今の「短編」の方が好きなひとりです。多様性があるから。



「影踏み」感想

寓話として読むと、この話はとても面白い。

本当は他人の「影」など踏みたくない主人公のぼくが、クラスメートたちから参加するべく圧力をかけられ、いやいやながらオニとなって、その踏みたくない「影」をふむ。すると、今度は自分が踏まれるのを遁れるために、オニから逃げ続けなければならない。本当はこんなことに係わり合いになりたくないのにもかかわらず、永遠に逃げたり追いかけたりしなければいけないことに、主人公のぼくは「気を失ってしまえばいい」と思う。

この話から私が連想するのは、日本で少数者として生きることの哀しさみたいなものだろうか。稼ぐために望まぬ行為に身を染める、というだけではなくて、すでに多数決の論理、常識という名の圧力、は少年時代から始まっているのだ、ということを私は読み取った。

しかし私が「投票」しなかったのは、この話が、少数者の哀しみを、ただ哀しみとしてしか描写していない、という点で不満を覚えたからである。
もしもこれが教訓話ではなく「小説」であるならば、この少年の物の見方(影踏みなんて、他人の影なんて、踏みたくない、でもそれを拒否できない、だから気絶したい)だけが正しいわけではない――少年には「悪の行為」にすら思える影踏みや、集団に馴染むことのなかにも、ひょっとしたら希望が生れるかもしれない、というような、微かな視野の広がりの可能性を、作者はこの少年主人公に与えてもよかったのではないか? と思った。

そうでなければ、この小説は、ある少数者が集団と馴染まない、そう、それが日本ってものなんだ、という諦めのみしか読者に提示してくれないものとなってしまう。一部の読者との、弱さの共感のみでおしまいになるとしたら、少しさびしくないか? この小説に視野の広がりがほしい。

しかし、力量の点では今回参加の作家たちを圧倒するものがある。この作品には少年たちが5人も登場し、それぞれの性格がセリフの中に端的に描かれている。その点はすばらしい。


Re*2:73期決勝投票のコメントについて

ながつきゆうこさん、読者さん、返信ありがとうございます。
読者さんは拙作への感想を書いていただいて、まあ、それが自分でもはっとするというか、それが肝だと思っている内容で、これは問題として全体に敷衍してもイケるんじゃないかと思ったので再び書かせていただきます。

〉少年には「悪の行為」にすら思える影踏みや、集団に馴染むことのなかにも、ひょっとしたら希望が生れるかもしれない、というような、微かな視野の広がりの可能性を、作者はこの少年主人公に与えてもよかったのではないか? と思った。

これは小説が「肯定的」か「否定的」かという問題ですよね。じつは、これは千字小説にかぎらずぼくが小説を読んでまず気にするポイントで、ぼくにとっての課題でもあります。ぼくは「肯定的」な小説であるにこしたことはないと思っていて、その点で読者さんの意見はモロにぼくに直撃する問題提起でした。

それでは小説が肯定的であるために、どうすればいいかなのですが、ぼくは小説が肯定的であるためには、否定の否定になっていないと駄目だと思っています。小説内で全肯定的に「人生って楽しいヤッホー」みたいなこと書かれてもまったくリアリティが無い。これでは物事に対する否定的な目線をまったく捨象していると思います。この例で言うと「人生って楽しい」をまず、「そんな楽しいことばっかりじゃねえよ」と否定して、「そうはいっても楽しまないと」ともう一度否定ですね、ここで肯定が完了します。
73期に目を移すと、決勝に残った「うどんだよ」は否定の否定をしていて、「水の線路」もギリギリのところで否定の否定になっていると思っていて、ぼくは予選でこの二作品に投票したのですが、否定の否定(つまり肯定)をできているというのが推した理由のひとつです。その点でぼくの小説は「否定すべき対象」を顕在化しただけだという自覚があります。千字という制限における課題でもあるんですが、「顕在化」にどうしても字数を食ってしまうなあというのが、いままで何度か参加しての感想ですね。

もちろん、肯定的/否定的の二分論で小説の価値がわかれるわけではないですし(またぼくもそうは思いませんし)、各々の好みで、たとえば文章の流れとか、日常にはない設定とか、判断基準はいろいろあると思うんですが、ぼくは千字で「否定の否定=肯定」をちゃんとできている作品を見ると、単純に凄いなあと思ってしまいます。思い出すところでは、68期のsasamiさんの「九龍」なんかは上手にそれができているように感じました。

Re*2:73期決勝投票のコメントについて

 なるほど、こういう読み方があったかと面白く拝見しました。
 
 私は自分が親になってしまったせいか、この作品の先にある日本の全景としてはとらえられなくて、もしくは、親になって子供が遊んでいる姿を見ているせいか、子供の社会の中における子供の動きがよく書けた作品だなあと思いました。
 特に視野の狭さがよく表現されていると思いました。自分の身長や目線をうんと縮めて子供の世界に入ったときの窮屈さといえましょうか。
 この作品の持つ影は、読む人によってとらえ方が変わるのでしょう。私も年を取って、世間を生きていくうえで感じる社会というものの風当たりをそれほど感じなくなってしまったし、自分の人生について深く思い悩むこともなくなったので私にとってこの作品の影は、子供時代におけるある種の、誰もが知っている暗い影であると感じました。そしてこの話に教訓めいた光を当ててしまうと、その影のもつ濃度を薄めてしまうのではないかと考えます。
 私の中では「仄あかり」を抜いた作品となりました。

Re*3:73期決勝投票のコメントについて


〉これは小説が「肯定的」か「否定的」かという問題ですよね。じつは、これは千字小説にかぎらずぼくが小説を読んでまず気にするポイントで、ぼくにとっての課題でもあります。ぼくは「肯定的」な小説であるにこしたことはないと思っていて、その点で読者さんの意見はモロにぼくに直撃する問題提起でした。

〉もちろん、肯定的/否定的の二分論で小説の価値がわかれるわけではないですし(またぼくもそうは思いませんし)、各々の好みで、たとえば文章の流れとか、日常にはない設定とか、判断基準はいろいろあると思うんですが、ぼくは千字で「否定の否定=肯定」をちゃんとできている作品を見ると、単純に凄いなあと思ってしまいます。思い出すところでは、68期のsasamiさんの「九龍」なんかは上手にそれができているように感じました。

「直撃する問題提起」だと光栄な返事をいただいたので、もう一度書かせてもらいます、これが最後ですのでKさんの創作のきっかけとなるのであればありがたいです。

「肯定か否定か」という二分論よりも、「緊張と弛緩のバランス」、もっといえば、小説の人物たちが生きた人間として動いているか(プラグマティズム・・・・・・といってもいいんですかね?)どうか、という問題のような気がします。

つまり、「影踏み」でいえば、慎治・健吾・祐樹・淳・ぼく、と出てくるわけなんだけども、ぼくは最初から最後まで緊張している。呼吸せずに、無呼吸のまま、話がつづく。緊張のまま、「気絶したい」ともっていくよりも、どこかで彼を実際の人間のように緩めてあげれば、もっと生きてくるのではないか、と私は思ったわけです。

慎治・健吾・祐樹・淳の4人の少年も、皆、いちように「ぼく」と対立する側にいて、要するに彼らもまた「緊張」しているんじゃないか。たとえば、淳(いちばんのんきそうですね)が、のっそりと「ぼく」のところにやってきて

「ほんとはよお、おれも影ふみなんてやりたくないんだけんど」(と訛らせてみる)

と「ぼく」に呟かせてみたりしたらどうだろう? 「影踏み」がいやなのは「ぼく」だけではなかったんだ、という軽い驚きを与えるとか。あるいはこの話全体を、成人式の飲み会で、走馬灯のように振り返っている「ぼく」というふうに、ラストで昇華させていく、という時間軸の移動だってある。

私は作品を「肯定否定」でみるというより、主人公=自分は特別、っていう意識を持っててかまわないんだけど、そういう主人公だけが特別ではないという視点をほかの人物や物に語らせているか、弛緩があるか、という点で読んでいることが多いかもしれない。

・・・以上は私の個人的な感想ですので、感想の感想を書いてくださったながつきゆうこさんの意見も興味深いと思いますし、とどのつまり、作家は読者の感想を取捨選択して取り入れていくべきだと思います。私の考えのなかで気に入った部分があれば、どうか役にたててくれると書いた甲斐がありますし、こうして書かせてもらうと、私は私なりの方法論が固まってきて、有意義です。

では74期の作品をこれから読ませてもらいます。ありがとうございました。



運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp